白山書房の『山の本』

『山の本』という山の本です。

この号で111号、季刊誌(年4回)なので、すでに28年近く続いている雑誌ということになります。紙の本、雑誌、本屋…出版業界を取り巻く昨今の厳しい状況を考えると、よく続いてきたと思います。まずは頑張っている白山書房に敬意です。

 

私は創刊号からの読者でした。

そして2008年の63号より、熊谷 榧氏(戦後の洋画のみならず日本の画壇を代表する画家・熊谷守一の娘)の後釜として挿絵を担当し始めました。当初は熊谷 榧さんを引き継ぐとは…と緊張していましたが、この仕事は自分にとって、モノクロで表現するという新しい世界を開いてくれました。

 

また2011年の75号からは絵に短い文を寄せて書く、画文の連載の担当も始まりました。これも簡潔にまとめた文章を書くという、ある意味長く書くより苦労しますが、いい勉強になっています。気づけば、この連載も今回で37回目。10年目に突入しました。

 

 

今回の春号では、特集の「春だからこの山へ!」に寄稿しました。ある日編集部から、わりとタイトな日程で「山へ出かけてその場で描くをテーマに、いくつかの山を、作品を3〜6点添えながら、春にしぼり、原稿用紙8〜9枚」と連絡がありました。

 

私の場合は、同じ原稿でも絵が半分以上助けてくれるので、これはかなり“役得”です。しかも今回は、若かりし頃の作品から始まり、何枚か思いつく春の絵を辿って書いていけば、長年描き続けているので何とかなるというパターン。この2017年に雪解け時期を訪ねた北海道のスケッチも含め、その他数点の作品と共に原稿用紙を埋めました。

 

世間は、いえ世界中、コロナウィルスで騒然としています。こんな時でもありますので、よろしければ、今どき珍しい文字媒体のいぶし銀のような山の本をお手に取って、知的な?机上登山の時間を過ごして頂くのも一興かと…。

 

『山の本』は大きな書店(山岳コーナー)にしか置いてありません。あとは書籍コーナーのある山の店くらい。

便利なのはネット注文か、直接「白山書房」(☎042-669-4720)に問い合わせて頂くかになります。

 

探検家・角幡唯介氏講演会

久しぶりの「つれづれ」更新となります。

先月末だったか、立ち寄った横浜の老舗本屋「有隣堂」にてふと目に留めて手にしたチラシ。角幡唯介氏の講演会案内でした。主催が横浜市磯子区、往復はがきでの申込みが“当たった”ので読書家の山友達と一緒に出かけました。

 

角幡唯介氏は探検家、ノンフィクション作家(文筆家)で『空白の五マイル チベットー世界最大のツアンポー峡谷に挑む』で第8回開高健ノンフィクション賞、第42回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞、『雪男は向こうからやってきた』で第31回新田次郎文学賞など数々の受賞作を執筆している1976年生まれの探検家です。

 

最近では太陽の昇らない季節の北極圏を探検する『極夜行』でYahoo!ニュース 本屋大賞、2018年ノンフィクション本大賞、大佛次郎賞を受賞しています。

 

私はまず『空白の五マイルーチベット 世界最大のツアンポー峡谷に挑む』を数年前に読んで、これはスゴイ!と思いその後の数冊の読書も含め、どうしてここまで極限の探検を追い求めるのか?など関心を持っていました。なので市内で本人の講演を聞けるとなれば、それなりに興味津々で向かったのでした。

会場にはそこそこ人が入っていましたが、やはり年齢層が高めなのは否めません。それでもちらほら若者の姿もありました。

お役所のイベントらしく終始地味な雰囲気でしたが、角幡氏は題目に添って自分が探検するにつけ、どういう本の影響を受けてきたか?という話をしました。『極夜行』ではどんな苦労やドラマや裏話があったか…などと云う話を期待して会場に足を運んだ人には不本意な内容だったでしょうが、ご本人も始めからその事については断っていました。

 

冒頭では「読書って恐ろしい」と語り、自分が出会った本にてどのように“人生”が変わっていったか、その出会いによって大きな影響を受けた本を紹介していきました。

以下、文字の多い項目となりますが、ご興味のある方はどうぞ読み進めてください。

 

 

【当日の講演】

まずは『ツアンポー峡谷の謎』<F.キングドン・フォード著、金子民雄訳、岩波文庫>を紹介する。処女峰登頂などすでに望めない現在、東ヒマラヤ探検史に関心を持っていた角幡を未踏の地であったツアンポー峡谷へと誘った本。

 

加え早稲田大・探検部の先輩であった高野秀行が記した『西南シルクロードは密林に消える』<講談社文庫>に大いに刺激を受ける。そこには自分のやりたかった未知なる地域を大胆に走破してしまった先輩への“嫉妬”も抱く。

 

また『世界最悪の旅ー悲運のスコット南極探検隊』<アプスレイ チェリー・ガラード著、朝日文庫>や『十六の墓標』<永田洋子著、彩流社>は同じ地平=つまり同じ破滅型の本=として“破滅の美学”に引かれた若い当時読んだ、といった話。

『アート・オブ・フリーダム 稀代のクライマー、ヴォイテク・クルティカの登攀と人生』<ベルナデッティ・マクドナルド著・恩田真砂美訳、山と溪谷社>では「登山とは芸術である」と言ったアルパイン・スタイルの登攀を確立したクルティカの哲学が語られている。

登山とはスポーツ=お膳立てされ管理された下で行われる=ではなく、クルティカの登山がそうであったように極限まで装備他を排除し単独或いは少人数による登攀によってその山の美しさが現れる、そういうものだと言う。

これには『冒険と日本人』<本多勝一著、朝日文庫>で記されている「脱システム」という、探検に必須なもう一つのテーマが相関している。

 角幡は本多勝一には大いに影響されたが、植村直己には全くなかったと語り、影響された本多の冒険要素を三点揚げた。

  • 危険性がある
  • 主体性がある
  • 前人未到の行為

結局、最終的に角幡は『極夜行』にて極限の「脱システム」のなかで自分自身が「知覚受容体」としてテクノロジーを排除した形で極夜の旅に出たのだった。

 

極夜性=暗さの本質とは現在位置不明、つまり未来が見えないということであり、逆に明るいということは未来が予想できること。

 

たとえ陳腐であっても自分の“経験”(=探検)によって普遍的な発見に至る。それは説得力ある答えになる。

闇の意味、光の意味=時間を癒やす希望を与えてくれるもの、それらは知識ではなく自分自身の経験によって至った答えである。

 

最後に角幡は「僕の本読み方は正確な理解をしようとは思っていないし、自分の思考に影響を与えてくれるような読み方。本に取り込まれない、本を取り込む読み方」であると最後を締めくくった。

 

私には結構興味深い一時間半だったが、探検談を期待した聴衆にはちょっと退屈な?内容だったかもしれない。

 

(当日紹介されたその他の本:『千の顔をもつ英雄』<ジョーゼフ・キャンベル著、倉田真木訳、ハヤカワ文庫NF>、『生物から見た世界』<ヤーコプ・フォン・ユスクキュル、ゲオルク・クリサート著、日高敏隆、羽田節子訳、岩波文庫>、『狼の群れと暮らした男』<ショーン・エリス、ペニー・ジュノー著、小牟田康彦訳、築地書店>)

 

だれでも本屋さん

横浜市旭区の希望が丘商店街イベントの「だれでも本屋さん」は今回で第3回目、と言っても2回目は雨で中止だったので実質二回目です。

 

地元のイベントだし、代表の「アマンデン洋菓子」店のAさんが頑張ってらっしゃるし…今回も“出店”しました。近所の友人が搬入から搬出まで手伝ってくれて大助かりでした。

 

ご来場くださった皆さま、どうもありがとうございました。

 

古本の売上は微少ながら前回同様「あしなが育英会」の東北の子ども達への寄付にしたいと思っています。

実際は道端に「お店」を広げこんなカンジでやっています。

 

希望が丘では2015年まであった地元本屋さんが店じまいをして以来、悲しいことに一軒も本屋さんがなくなってしまいました。本屋のない町は、寂しいだけでなく文化的拠点を失った精神の拠り所を欠いたような不安定な思いが拭えません。

 

本を読まなくなったと言われて久しいですが、多くの方たちが足を運んで熱心に道端の本屋さんを巡ってくださる様子を見ていて、やはり本というものの持つ力を感じた一日でした。

谷川俊太郎詩集

㈲アーツアンドクラフツから新しく谷川俊太郎の詩集が刊行されました。

 

『空を読み 雲を歌うー北軽井沢・浅間高原詩篇 1949-2018』(正津 勉 編)

 

白山書房の『山の本』で仕事をご一緒の現代詩人・正津 勉さんからお話しを頂き、この度 この新刊本の表紙装画を担当させてもらいました。今日、ようやく待ち焦がれていた本が出版社から届きました。とても美しい装丁、きれいな色合い、品のいい仕上がり。装丁を担当された方のご苦労がしのばれます。

 

 

本の体裁は 四六版 本文96頁

表紙貼りはヴァンヌーボという豊かな風合いをもった上に印刷インクの映えが生きる高級印刷用紙のファインペーパー、ここに絵を印刷。そしてカバーにトレーシングペーパーをかけ、そこにタイトルを刷り、帯を巻く。そんなスタイルです。

 

なんとお洒落な装丁なんだろう…とお話を頂いたときから出来を想像していましたが、美しい帯がかかって手元に届いた本は想像以上の雰囲気を持ったものでした。

 

見返しの紙色も帯に呼応し、扉の紙質は縦目にエンボス加工された上に横に光沢の流れるもので白さのなかに気品が感じられます。

 

そしてはじめの一頁目。浅間山をバックに立つ谷川氏の幼少時の古い写真につづき書き下ろしの詩が始まります。一瞬にして俊太郎の世界に惹き込まれていきます。

 

昔、『二十億光年の孤独』を読んで以来、あまりに有名な詩人ゆえ、読むともなしに気づけばなんとなく触れていた詩や文章。けれど今回、こうして装画を担当させてもらい改めて谷川俊太郎という詩人の魂に触れることができ、もしかしたらそれが自分にとっての一番の贈り物だったのかも・・・と感じます。  ※表紙の絵:「岩菅山山頂より浅間山」

お問合せ:㈲アーツアンドクラフツ ☎03-6272-5207

ご注文はこちらから (また今週末には書店に並ぶそうです)

 

北軽井沢・浅間高原。『二十億光年の孤独』以来、七十年、詩人は、ここにあって<空を読み 雲を歌い>つづけてきた。ひらすら光輝く大地また生命、宇宙との交信の詩を綴ってきた。

(「高原の孤独な少年」正津 勉)・・・本書  帯より

飯豊山を振り返って

この本はヤマケイ新書から2016年12月に出た「『山の不思議』発見!ー謎解き登山のススメ」(小泉武栄著)です。小泉先生の本は昔、偶然目に留めて読んだ「日本の山はなぜ美しい」(古今書院)がきっかけで、以来新しい本が出るとよく読んでいます。

 

と言うのも、山の絵を描くにあたって常に「どうしてあそこは植生がなく黒っぽいのだろう?」とか「なぜガラガラした地形なのに、こちら側は笹原なのだろう?」とか疑問だらけでいたのです。そこに出会ったのが小泉ワールド「山の自然学」の世界でした。まさに目からうろこ。元々自然科学が嫌いではなかったのでグイグイと引き込まれ、この「山の自然学」のおかげで描くにあたってもいろいろな事が理解でき、それ以上に山を歩く楽しみが深まるのが何よりでした。

 

つまり自然のなかでは「答え」を知ることより、まず「どうして?」という疑問を持つことの方が数倍も楽しいのです。必ずしも答えが分からなくとも、その「どうして」に自分なりの“推論?”(いい加減で適当なものであっても)を立てながら接することで何気なく見ているものもよく見つめますし、山で過ごす時間や山歩き自体が奥深くなるような気がするのです。

(ちなみに、この本の第1章に突然私の名前が登場していてビックリ。後日、先生からのお年賀状に「あなたのことを書いちゃいました」とありニンマリでした。)

 この本の第6章が「飯豊山1ー強風と多雪がもたらした偽高山帯の植生景観」と銘打っていて、まさに今回自分の歩いたコースを辿った解説となっているのです。事前に読んでは行ったのですが、やはり実際に歩いた後、帰宅してから読み直したことで納得。そうだった…そうだった…と思い返すことで理解も深まり、より飯豊に魅力を感じることになりました。

 

右の写真、私は雪崩によるスラブの山肌と考えましたが、本によると「表面が赤く変色していることで現在形成中の地形ではないことがわかり」「おそらく氷期の氷河が削ったものでしょう」「稜線に近い場所でも見事な擦痕(さっこん)があったので間違いないと思います」とのことです。こうして地球の歴史を目の前で見ることができる山々、その謎解きに魅了されるのは私ばかりではないと思います。

A.サトウと武田久吉展

 日光中禅寺湖畔、観光地で有名な華厳の滝に隣接する「栃木県日光自然博物館」を訪ねました。今回はここで企画展「武田久吉(ひさよし)展」が開催されていて、しかも9日が最終日、どうにか間に合いました。

 

この日も関東地方は好天、猛暑でしたが、いろは坂を昇り中禅寺湖畔まで来るとさすがに涼しい風が吹き抜けます。まずは湖の南に控える半月山まで上部の駐車場から散策し、それから昨年新築整備されたばかりの「英国大使館別荘公園」を訪ねました。

 

ここは1800年半ば以降駐日公使として日本に滞在したイギリスの外交官、アーネスト・サトウの個人別荘があったところで、その後も英国大使館別荘として長年使用されていたものを復元したものだそうです。

アーネスト・サトウは日本各地を旅しましたが、長野県大町から富山市への北アルプス縦走など日本の山岳にも多くの足跡を残しました。日本人の武田 兼と結婚、次男が武田久吉です。

 

今回の日光では父親のA.サトウと息子の久吉の展示を共に見ることが出来るいい機会となりました。別荘では中禅寺湖が目前にひろがる一級の眺望と共に、当時の趣きそのままに家具や備品が室内に並び、壁には写真を中心とした資料が展示されています。二階にはとてもおしゃれな英国風喫茶があり、せっかくなのでちょっと贅沢なmade in England陶器でのティータイムを過ごしました。

 

午後から訪ねた本命の日光自然博物館はほぼ貸し切り状態でしたが、とても充実した施設です。企画展の展示はさほど点数は多くありませんでしたが、久吉が出会った人々との関わりのなかで、どのように山や自然、植物に親しんで行ったか、その植物学者としての軌跡がストーリー仕立てで展示されていました。

 

また常設の日光周辺山域の大きなジオラマ模型を使って、往年の久吉が通うように登った日光の山々を、年代別に色分けした毛糸を使い歩いた道なりに置いてあり、その健脚ぶり、精力的な探求がひと目でわかる工夫が施されていました。

ケース内の久吉が使った登山用具なども興味深かったですが、特に少年期に使ったメンコや双六などの玩具(紙製のもの、よく残っていると思いました)などは心が惹きつけられました。その前に別荘で見た古いライティング・デスクも、久吉がイギリス留学中に父親から贈ってもらったもので、帰国の際も持ち帰りその後もずっと使い続けたそうです。

 

植物学者、登山家、日本山岳会創始メンバーの一人、会長などをつとめた威厳ある武田久吉の印象から、ふと幼少期や青年期の情景が想い描ける心温まるひとこまでした。

『山の本』100号祝賀会

昨日は白山書房季刊誌『山の本』の100号記念の祝賀会がありました。一年に4回の刊行なので四半世紀続いた山の読み物の雑誌としては今の時代、それだけでも功績と言えそうです。私は2008年より熊谷 榧さんの後任として本文の挿絵を担当、その後2011年よりカラー画と文の連載「心に映る山」の担当をしています。

 

100名近い参加者で、名前だけは知っていてもお会いしたことのない方、普段滅多にお目にかかれない方々などとの歓談も持て、祝賀会自体も大いに盛り上がりあっという間の二時間でした。

 

時間内では喋るのに忙しかったためか、終盤になってもお料理が結構残っていたのですが、さすが山屋。お開きです、と解散になった瞬間より猛然と殆どの人が残りを食べ始め、式場係りの方が片付け始めている脇で争うように次々と皿を空にしていく様は圧巻でした。

 

最後の締めも普通なら一本締めとか三本締めなのでしょうが、さすが山の本倶楽部代表のA氏、「フレー!フレー!」の掛け声による応援団式エールを白山書房に贈ったのでした。

フォトジャーナリスト 長倉洋海

昔、「フォトジャーナリストの眼」(岩波新書92.4.20)という本を読んで以来、この長倉洋海(ながくら・ひろみ)という写真家の作品は関心を持っていました。

 

東京都写真美術館で5月14日まで「長倉洋海の眼」ー地を這い、未来へ駈けるーが開催されているのを先日知人から聞いていました。そしてこの間の週末、NHKラジオの夕方番組『地球ラジオ』にご本人が生出演しているのを聞き、これは是非早めに行かなくては!と思ったのです。

 

世界各地に出向き、身の危険を伴うなかで撮影を続けてきたにも拘らず、当日のラジオでも肩に全く力の入っていない自然体での語り口に益々好感を抱きました。

展示会場は地下一階、入り口のスペースでは一定の条件のもとで、撮影許可されていました。商業利用でなく、個人がこうして利用するならOKということで数枚撮らせてもらいました。

 

1980年に南部アフリカのローデシア(現ジンバブエ)にて白人支配の「最後の瞬間」を捉え、フォトジャーナリストとして幸運なスタートを切った長倉でした。その後しばらく停滞時期がつづくなか、82年のパレスチナ難民虐殺の現場では、その悲惨な状況下で「お前にできること。それは写真を撮って、外の世界に伝えることだ」と言われ、自分自身が変わったとあります。撮影することの本質・軸が掴めたのではないでしょうか。

「政府軍への従軍取材、ゲリラが潜む山中にも出かけた。廃村に仕掛けられた爆発物で一緒にいたカメラマンが負傷したり、乗ろうとしたヘリが空中爆破されたこともある。しかし、戦場の危険よりも、私の心に残ったのは、市場で野菜や新聞を売って働く子どもたち。戸口で佇む私を中に入れ、写真を撮らせてくれた貧民街の一家や難民キャンプの人々の姿だった。

 5ヶ月の滞在で手元に残った撮影済みのフィルムは300本。これには出会った人々の思いと姿が写し込まれている。どんなことがあっても持ち帰り、そこにある姿を確実に伝えたいー。その強い気持ちが私のフォトジャーナリズムの原点となった。」(「内戦下に生きる人々ーエルサルバドル」より)

そして当日、私が一番見たかったのは『アフガン戦士マスード』です。80年代ソ連のアフガン侵攻下にて「比類ない知略を発揮し、ソ連軍の大攻勢を何度も退けてきた司令官」=アハマッド・シャー・マスード。

 

その若い「対ソ戦の英雄」マスードその人を、もっと人間に迫ったドキュメンタリーとして撮ろうと83年3月、長倉は日本を発ちました。世界から多くのジャーナリストが訪れても生活を共にすることはなかった中、長倉はマスードの“信頼”を得、友として関わり、延べ600日ほどにのぼる歳月を共に過ごしました。

長倉のレンズを通して見ることのできるのは、彼がマスードを敬服し、その人間性に感銘しつつ、対ソ戦の英雄としてだけではなく、むしろ一人の人としての姿を観察し続け愛情を持って撮りつづけた一枚一枚です。マスードの優しさや読書好きなこと、イスラム教の敬虔な信徒であり、平和のうちに共生することを心から願っていたことなどを伝えています。残念ながらアフガ二スタンには願ったような平和が訪れぬまま、マスードは49歳という若さで自爆テロによって殺害されてしまいます。平和には教育が一番大切だと言い実行していたマスード。その友の遺志を継ぎ、長倉は『山の學校の會』というアフガニスタン山の学校支援の会に代表として今も関わり続けています。

北の大地 閑話

ちょうど2月1日付東京新聞夕刊の文化欄に「橋をめぐる物語」(中野京子)という連載で『北海道 自然の厳しさ』という表題が目に留まりました。

内容は北海道北部内陸の山間、三毛別(さんげべつ)六線沢(現・三渓)で起きた日本獣害史上最大の惨事と言われる羆事件を取り扱った吉村 昭の『熊嵐(くまあらし)』についてでした。

 

普段からあまり小説は読まないのですが、その中で吉村 昭は別格でその文庫本は本棚に少々並んでいます。中でもこの『熊嵐』は印象的な(恐怖!)一冊で実際にあった開拓民を襲った羆のことは忘れられませんでした。

 

改めて新潮文庫に掲載されている倉本 聰の「あとがき」を読んでみれば「北海道の美しさと凄みはその自然のもつ残酷さに常に裏打ちされていると思う…」とあります。自分の都合のいい時、天候の良いタイミング、ほんの僅かな日数、観光地域を中心とした束の間の訪問・・・そうした北海道旅行しかしていない私には到底分からない‘凄み’や‘残酷さ’です。

 

それでも訪ねたからこそ感じられることもあるはずです。そして時にはこうして一冊の本が、旅する自分に想像を補ってなにがしかを考えさせてくれるものになったりします。実際、北海道を訪ねる時には常に羆(山の世界では「山オヤジ」と呼ぶ)の存在が頭から離れることはなく、同時にこの『熊嵐』が脳裏をかすめ続けるのです。

(写真は根室本線車窓から撮った漂う氷結した海の氷です。海の際の白い凸凹は海岸線の防波堤=テトラポット)

『一枚の繪』

この月刊誌の歴史は古く、私が学生の頃にも目にしていたような気がします。実際、今回の8月号で540号となっているので、多くの方が何度かは書店の雑誌コーナーで目にしている本かと思います。(毎月3万部も発行しているとのこと。)

 

その8月号特集は・・「山のパンセ」・・

エッセイとして「一世紀前の上高地」を現代詩人の正津勉(しょうづ・べん)氏が寄稿され、そして「登ってみないと描けない風景がある」として私がスケッチ画3点に添えた文章を書きました。正津氏とは白山書房の『山の本』にてかなり以前からご縁がありましたが、今回、このような絵画専門誌へのお声をかけていたき、掲載の運びとなりました。

 

ちなみに私は自分の絵を「風景画」とは考えていませんが、ここでは編集部のテーマとしてこうした題名が提供されたようです。

また「中村さんが選ぶ登って描きたい山ベスト3」として3つの山を揚げているのですが、これが ◎描かれている山そのもの ◎自分が登って実際にそこに居る山  がゴッチャになっていて、なんかちょっと変です。「至仏山」は至仏山そのものなのに、「北岳」となっているものは「(北岳から見た)甲斐駒」の絵が掲載・・・と云う具合に。本来は「北岳より」としたかったのですが、何故か校正で消されていました。山屋にとっては落ち着かない点でも、絵の雑誌としては特段、気になるほどのことではないのでしょう。

 

21日が発売日ですので、もし本屋さんでお目に留まりましたら「立ち見」でもお願いいたします。

 

北信五山のうちのニ山

長野北部にある妙高山、飯縄山、斑尾山、戸隠山、黒姫山の五つの山を称して「北信五山」と言います。遠くてあまり縁のなかった北信ですが、いい天気を狙って初日に飯縄山、翌日に斑尾山を歩いてきました。

 

この写真の左側に見えているのが飯縄山、右側の雲を被っているのが妙高山です。下に見える湖は野尻湖。まさに幾重もの火山活動によって出来上がった地形であることが、この遠景からも分かります。

 

山は新緑に溢れ、その緑を咲き始めたムラサキヤシオがひときは可憐な濃い目のピンクで彩り、足元にはかわいらしいイワカガミが点々と今は盛りと咲き乱れています。感激しつつ、足は全然進みません。

 

ネットで探して泊まった宿、ここがたまたま『山の本』とご縁のあるペンションで、オーナーもこちらもビックリ。山小屋風とのうたい文句で電話し予約したのですが、建物も内部の雰囲気もまさに山の生活のようで、食堂の窓からは妙高山を眺めつつ食事をします。

この宿は以前数回、「白山書房」主催での山菜教室で使ったことがあるとか、どうりで書棚には『山の本』のバックナンバーがあったわけです。そこに画文の連載を担当している私が知らずに泊まることになったのですから驚きです。鼻が効いて大当たりと云ったところ!

「ロッジ樽本」という斑尾高原のペンションです。

鉢岡山から金剛山

年末から何故か藤野界隈づいていて、暖冬でポカポカの陽気のなか、また低山ハイクを楽しみました。

今回は横山厚夫さんご夫妻にお声をかけて頂きご一緒させてもらったのですが、昨年からの“懸案”だった鉢岡山にまず向かいました。

 

この辺りも明るく開けた谷あいに名倉などの集落をかかえており、なんとも云えぬ長閑な趣きを味わいながら歩けます。そして山頂に向かっていけば、なにやら大勢の人の声が…。

やはり天気もいい休日だといつものように「貸切」と云うわけにはいきません。先客で15人以上の団体さんが休憩中でした。

するとその中のお一方が「横山厚夫さんでは?」と声をかけられました。お話を聞けば横山さんの著書数々の愛読者であり、以前打田鍈一さんの出版記念会の時にはいっしょに記念撮影もしました、とのこと。

そして団体さんがそろそろ出発というところで、横山さんご夫妻に「すみません、写真を一緒に撮らせていただけませんか?」となり、突然の“撮影会?”が始まったのでした。傍に居た私は横によけながら、これは大変なことになったなーと思いつつ、自分もその一場面を脇から撮らせてもらっていました。それがこの一枚です。

 

その方は私の絵のこともご存知でしたが、奇遇なことに私が豆にチェックしている山関係のブログの管理者でもあったのです。これには驚きました。どういう方が書いてられるのかな〜とずっと思っていたブログの執筆者ご本人と偶然山でお目にかかり撮影会になったなどとは・・・。

山の世界は本当に‘狭い’と身を以て実感した一件で、愉快な思い出となった鉢岡山でした。

伊豆に行く

何故突然ビールのアップが登場するのか?

・・・それは雨だったからですーーー

昨年に引き続き日本山岳会の図書委員会での山行が先日あったのですが、初日は朝からの雨。本来なら天城峠南に控えている渋い私好みの山、登尾(のぼりお)に登る予定だったのですが修善寺に到着すると同時に、振替予定の地ビール工場「ブルワリー」へ直行。

開店と同時に入場し昼過ぎには皆さん、すでに「出来上がって」いらっしゃいました。

しかし、そこでは普段の委員会などでは語られない山談義に盛り上がり、とてもいい親睦の機会となりました。テーブルを囲んだ数人の話題にのぼったのが串田孫一らが主体となって300号まで編まれた山の雑誌『アルプ』。壮年の方たちが「若い頃はこんな雑誌をバカにしていたけどね…」と仰りながらも、その価値を深く語られるのに引きこまれ、辻まことに話題が集中した時には最高潮となりました。

「辻まことは立ち位置も関わり方も、『アルプ』の中での存在もちょっと特殊だったかもしれない。が、彼はそこでうまく『アルプ』を‘利用していただろうし逆に『アルプ』によって表現の世界を拡げられたことにもなる・・・」ーこの表現云々については私も絵描きのはしくれなので、とてもよく分かるのです。描く場所、提供する場面を強いて与えられると、不思議と自分を越えた表現が生まれてくるのです。自分の描きたいもの、表現したいもので「殻」を突破していくのは長い年月の創作のなかでは当然あり得ますし、それが創作なのですが、外部から「場」を与えられることにより、思わぬものが出てきて開けることがあります。辻が本当に絵を描き始めたのも、『アルプ』によって場が造られたからかもしれません。

また『虫類図鑑』(筑摩書房)にも話がおよびました。そこに登場する辻の描くところの「虫たち」は悉くシニカルな表現に溢れるのですが、私がふとたった一つだけ美しい「虫」を彼が描いていることを思い出しました。それは「友情」という名の虫でした。その話をすると談義の中心的存在だったiさんが「そうなんだよー、彼も‘希望’が欲しかったんだよ〜」とほろ酔いのなかで頷いたのでした。

未丈ヶ岳-みじょうがたけ

当日は登りでは霧と雨、下山時に漸く雨が上がりました。

写真は途中の974mピークから未丈ヶ岳の方を見ていますが、

山頂はガスの中に隠されています。

この越後の銀山平近くにある奥深い山を知ったのは、まだ山を始めてさほど時間がたってはいなかった頃と思います。とても地味な山で、たいていは気にも留められない山です。が、何故かずっと‘思い続けてきた’山であり、それを決定づけたのは丹羽彰一氏の『残照の山々』(白山書房)所収『「秘密の出口」から未丈ヶ岳』でした。

丹羽さんが挑戦された30年近く前と違い、今では徒渉箇所手前の崖には鎖が、最後の黒又川を渡る地点には鉄製の橋が設置されていて、しかも登山道は明瞭で当時のような藪漕ぎの連続ではありません。それでも私にとっては、今回、山仲間のK氏がリーダー役を買って出てくれたおかげで登れた山でした。

長年の憧れの山は終始ガスの中でした。けれど自分の心は満足でした。それは登頂できた喜びと言うより、登山口である「秘密の出口」=トンネルの非常扉を開けた瞬間から未丈ヶ岳に誘われ、沢を辿り徒渉し、山道を歩き、一日その山中に居られた幸福感でした。そして帰路に雨が上がり、途中のピークから未丈ヶ岳の山容を画帳に描けたのも幸せでした。最後まで山頂の一部にまとわりついてそのピークを隠していた霧も、かえって「憧れの山」がそのまま夢のように思い続けられると感じ、よかったと思うのです。

本の山旅

「つれづれ」の12月5日にご紹介した大森久雄氏編のヤマケイ新書『山の名作読み歩き』。そこにあった鷹野照代の「風の道」が昨年末、山仲間での小さな飲み会で話題になりました。そこを訪ねてみよう…という話になり、春を待ってその仲間で「風の道」に出かけました。

私はたまたまその「風の道」の出典である『アルプ』184号「特集 風」(1973年6月)をその飲み会で手に入れたのでした。そして一昨年刊行された山口耀久(あきひさ)著『「アルプ」の時代』にもその「風の道」鷹野照代が取り上げられていました。思いは膨らんで行きました。


当日は甲斐大泉「ロッジ山旅」の長沢洋さんのガイドで大森久雄氏も同行され、かつては村人達が使っていたであろう山道を辿りました。が、鷹野照代が歩いた頃以上に荒廃しているのは当然で、おぼつかない所もあったりでようやくその峠に着きました。今にも泣き出しそうだった空で、弁当を広げる余裕もなく再び登った道を下りましたが、帰路には大森さんが調べておいてくださった鷹野照代の菩提寺も参ることができました。照代夫妻が眠るところからは、その「風の道」の峠が美しく見通せるのでした。想っていた以上の照代の思いの深さに触れたような気がしました。

年末の読書と「面白い?動画」

普段の生活で一番集中して読書できるのが(私の場合)電車の中ですが、そんな細切れ読書のなか、年内に敢えてここの欄で取り上げたいと思った一冊をご紹介します。

 

『リニア新幹線ー巨大プロジェクトの真実』(橋山禮治郎著 集英社新書) 硬い本ではありますが、一般的な新書にあるような読みにくさもなく、え~~~!!と驚きの連続で読み進みました。


この本の著者は「賛成」でも「反対」でもないというスタンスですが、細かいデータによりこの計画がいかに誤っているかを次々と展開していきます。

お正月向きの内容かどうかは疑問ですが、年末年始の休みに一読してカッカとくれば寒さも忘れる??でしょうか。

 

それよりも笑って分かる動画がお好みの方は、どうぞ下記のYouTubeをご覧ください。現実は笑っていられませんが・・・。

美ヶ原の展望台

11月の終わり、美ヶ原の物見石山が目の前に見える所に「森のはなし 山のはなし」という会の仲間の人たちと出かけました。ロッジ山旅の長沢さんの長距離運転・案内で、楽なのに豪華な展望の得られるというピークです。

皆さん昼食を楽しみワインの瓶も開けられたようですが、私とSさん二人の絵描きはおにぎり片手にスケッチに興じたのであります。

 

そしてもうお一方、山の本の大御所(!)大森久雄さんは、これ又クラッシック界では名の知れた藪田益資さんの動画インタビューを山頂で受けて、ヤマケイ新書創刊のトップバッターで刊行された『山の名作読み歩き 読んで味わう山の楽しみ』(大森久雄編)のお話をされました。その動画がYouTubeにアップされましたので皆さまにご紹介致します。

 

山に遊ぶ 山を想う

ジャケットの絵は磐梯山
ジャケットの絵は磐梯山

この秋、現代詩人の正津勉(しょうづ・べん)氏が山岳書出版老舗の茗渓堂(めいけいどう)からこの本を上梓されました。日本各地の名山を実際登りながら、その山にまつわる詩歌を傍らに、詩人である正津氏ならではの魅力的な文体でご自分の山行にからめて縦横無尽に語られている魅力的な一冊です。

今日はそのご本の出版記念の会が東京・信濃町にてありました。このジャケットの絵を担当させてもらった私も、おいしい食事と歓談で楽しいひととできを過ごさせてもらいました。

 

「あとがき」にて正津さんは「山が好きな人はいっぱんに本を好んで読まれない」と少々嘆いていらっしゃいますが、そうでしょうか? そうだとしても、この本の魅力は山から離れたとことにも十分にある、もとい、本題は寧ろ「山屋」から離れたところにあるのでは?と感じるのは、私一人ではないと思います。無限に拡がり自然に溶け込む「ことば」が魅了する世界に足を踏み入れていただきたく思います。

 

茗渓堂 ☎03-3221-1870