貨物路線の一日旅

この車両は「宴・うたげ」と言う「JR東日本が1994年以降保有している鉄道車両(電車)でジョイフル・トレインと呼ばれる車両の一種」(ウィキペディアより)です。中は全部“お座敷列車”で全車両グリーン車です。カラオケも付いています。

 

この車両にて東京の両国駅出発後、内房線にて千葉の姉ヶ崎まで行き、そこから折り返し京葉線にて新木場へ。その後はりんかい線に入って大崎。こんどは大崎から貨物線と東海道線を通りながら国府津まで行き、折り返して東海道線で大船まで行くと次は根岸線にて桜木町、そこから再び貨物線を通って品川終着という、7時間に及ぶ乗車のみの鉄旅です。

 

JR東日本のネット販売のみの『鉄道の旅』パックツアーですが、普段乗れない貨物線を走れるというので、申込み乗車しました。乗る前はかなりワクワクでしたが、正直、感想は「こんなものか・・・」でした。つまり、貨物線を走っている快感はそれなりにあるのですが、乗っていては客観的に自分の車両を見ることが出来ないのが原因でしょうか? 或いは窓外の景色が全般、割と見慣れたもので、今ひとつ感動がわかなかったせいでしょうか?

お弁当はその日の為に作られた特別仕様のカバーがかかっていました。もちろん乗車した人たちは全員、それを大事にお持ち帰りです。

 

車両にまず入った時、若い人が車両に設置してあったカラオケシステムを見て「あ、ブラウン管のテレビだ!」と言ったのは印象的でした。私などは懐かしさを感じるものですが、若い人には珍しいブラウン管テレビなのです。

 

すべてにわたってレトロな雰囲気の「宴」車両。ただ黙々と乗車するだけでなく、本来の宴会目的で乗車するのがいい列車と感じました。

過密な首都圏ダイヤや貨物列車のダイヤにこうしたイベント列車を走らせるのは素人目から、かなり大変ではないかと思うのですが、山仲間で鉄のプロであるM氏に聞けば、けっこう貨物列車ダイヤにはこうしたものを走らせるような“特別な隙間”を作っているそうで、意外と難しくはないとか? それでも、当日は各所で数分から10分以上の停車時間があり、茅ヶ崎駅では約1時間の停車でした。もちろん停まっているときもドアは開かず、乗客はそのまま車内。乗るだけで楽しい人々からは当然、文句など出るはずもなく一日乗車はダイヤの乱れもなく無事、終着駅に定刻到着しました。

(下の写真はクリックすると大きくなります)

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只見線の旅1

しばらく間が空いていました。戻り梅雨の前の猛暑のなか、いつもの「大人の休日パス」を使って福島県・会津地方を巡って来ました。本来なら北海道への取材に出かけるところですが、今回は諸事情によりJR只見線の旅に切り替えました。

 

大きな期待を抱かずにいた車窓からの景色、これが猛烈な太陽の日差しを浴びて陽炎が立つほどの冴え。早めに出発して、上越新幹線と上越線の乗り換え駅の「浦佐」にてスケッチ・タイムを計画していたのが見事的中でした。

<上越新幹線のロビーから見えた越後三山の八海山と越後駒ヶ岳・下の屋根は乗り換えの上越線ホーム

2時間以上の待ち合わせ時間にて、駅員さんにお願いして広大な!新幹線ロビーの一角を使わせてもらいスケッチ三昧。11:54発の普通・長岡行きにて小出駅へ、そこが今回の本命JR只見線の始発駅です。

 

その小出でも待合せ時間利用で駅前に一軒だけあった食堂『富貴亭』に入りました。注文を待っている間ふとカウンター上を見ると新しいものも含め『山の本』が20冊ほど並べてあります。マイナーな本だけに不思議に思い伺うと「以前、著者の人が置いていってくれて・・・」と女ご主人。執筆者のどなたか(地元?)でしょう。見開きカラー頁の画文の連載を開き「これは私が描いています」とお見せするとそのおかみさんはビックリ! それからは昔の小出駅前が、特急が着くたびに沢山の登山者で賑わい、翌早朝の始発まで雑魚寝したり中にはキャッチボールなんかを真夜中の2時ころ始めるのも居て大変だった…などと昔話を伺いました。

新幹線は二つ手前の「浦佐駅」に停車で、今ではちょっと外れた小出駅はひっそりとした雰囲気になっています。日本の各地が新幹線網で覆われ、ことごとく特急がなくなっていき、こうした町の活気や乗り換えの利便性が失われていきます。本来の移動手段としての「公共性」がないがしろにされて単に速さだけを最優先する鉄道開発は、人の生活と云う一番大切な基盤を忘れていると、旅をしながらよく感じることです。

 

さて、そうは言いながらも今回の目的のJR只見線。この一部不通区間の復旧を決めたのは大変な「英断」と喜ばずにはいられません。2011年東日本大震災と原発事故で被害を受けた福島県ですが、追い打ちをかけるようにその年の7月豪雨で会津地方が大きな水害に見舞われました。そして奥会津の生命線とも言える只見線の只見川付近一帯の氾濫で橋脚が複数流出など甚大な被害を受け、以来「只見〜会津川口」間は不通となり代行バスの運行となっています。今回も途中は代行バスの移動になりました。しかし廃線になるなど悲しい運命のローカル線が多いなか、この只見線の“奮闘”はとても嬉しいものです。「只見線応援団」という福島県が募っている支援もあります。

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北海道・東大雪の旅Ⅳ

 雪の華です。これも前出のKさんから送っていただいた一枚です。

滞在中、自然のなかで過ごせる最後の日「ボレアル・フォレスト」と云うネイチャーガイドさんをお願いして終日、然別湖周辺のスノートレッキングをしました。美しい雪の造形や、動物たちの痕跡の数々、また暴風や台風被害で痛めつけられた森の姿などなど、多くの発見や不思議を見つけながらの、大変満ち足りた一日を過ごすことが出来ました。

歩きはじめは然別湖より標高を上げた「しらかば峠」からです。名前は「白樺」ですが実はこの峠に生息しているのはほぼダケカンバ。そして出発点にはひときわ木肌も艶やかで、美しい樹形のダケカンバが立っています。名前がないのが残念なほど、美しい樹です。

 

レンタルのスノーシューをここで付け、いざ出発。ガイドは阿久澤小夜里さん。ご夫妻で然別湖周辺を主なベースに年間通し、カヌーや登山など幅広くガイドされています。阿久澤さんとのご縁は、実は数年前、たまたま山梨方面に向かう中央本線下り各停のボックス席で同席したのが彼女のご両親だったのです。何気ない会話から、ご両親とその後暫くお手紙のやり取りをしていた私。その文中に「娘が北海道でガイドをしています」とあったのを思い出して、改めてお尋ねして今回のガイドにこぎつけたという経緯があります。とても不思議な事です。なので、初めてお目にかかるのを楽しみにしていました。

 

小夜里さんは温かい雰囲気の方で、ガイドもゆったりと小さな自然の落とし物にも細やかな視線を以って接し、一つひとつ丁寧に教えてくださいました。まさに私のいつもの山行=「超のんびり山歩き」そのもので、大自然の中で心から憩って過ごせました。小夜里さんからは「とっても自然が好き!」という気持ちが伝わってきて、私も思う存分大好きな山のなかの時間を味わえます。午前中は正面に東ヌプカウシヌプリが見える所まで登り、しばらくスケッチの時間。(右写真は小夜里さん撮影)

 

午後からはご主人の忠邦さんがご担当。同じく優しさが伝わるお人柄で、午前中同様、静かな自然を思う存分味わえました。無雪期にはブッシュで入ることの出来ない然別湖に隣接する駒止湖の湖畔まで足を伸ばし、スノトレならではの「特典」に気分をよくしたのでした。

 

最後の一日を地元を知り尽くしたプロの案内でじっくりと東大雪の自然を愉しむことができ、振り返れば大変充実した締めとなりました。ガイドの「ボレアル・フォレスト」さんには心から感謝します。そしてまた冬の時期も季節を変えても機会を作って訪ねたい所と思いました。

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銀山平の宿

いかにも“昭和!”と言った雰囲気の部屋です。庚申山登山に利用した「銀山平」の温泉宿「かめむら別館」の食事に使った広い日本間です。ここも客数が多いときには通常の客室として使うはずです。

 

今時すべて襖と障子、個室の鍵もなく、トイレも共同、でも宿泊の部屋はどれも二間続き。なんとものんびりしています。テレビはありますが自動販売機もなし、携帯の類いはdocomo以外は通じず。

 

しかしお肌すべすべ美人の湯の温泉で食事は山のものを主に山女や鹿肉、猪汁もありました。どれもおいしく、加えてご飯の旨いこと! 山に行って体重は確実に増えて帰ってきました。こういう‘施設・設備’はちょっと…どうも…という方にはお勧めできませんが、山屋的には何ともホッとする宿でした。贅沢なことは何もないけれど、静かな昔ながらの山旅をどこまでも味いながら寛げる宿だったのです。

 

 今回の山行メンバーは昔の社会人山岳会の仲間でした。今時の山ガールや山ボーイとはまるで違う一昔・ふた昔前の出で立ち・価値観の私たち、だからこうした温泉宿をより好む訳ですが、それでも設備の古さなどを補って余りあるような‘宿の良さ・もてなしの良さ’を感じるからこそ、異口同音「こんど又来る時にもここだね〜」などと言い合うのでした。

 

 実は銀山平にある登山口最寄りの国民宿舎「かじか荘」が改修工事中で休業だったのです。そこで探し当てたのがこの「かめむら別館」、それでむしろ良かったと思っています。ちなみに本館?の亀村旅館は通洞駅近くに看板がありましたが、現在は自宅として使用している様子で営業はしていませんでした。足尾銅山の観光客も何時の頃からか泊り客は居らず、「庚申の湯」の天然温泉宿としての銀山平別館のみを営んでいるようです。

(写真は庚申川を小さな橋で渡った向こうにある「かめむら別館」 今では手前の植林が育ってしまい、対岸道路側から宿の全体を見通すことは難しくなっています。)

早春 北海道の旅 最終章

早朝の大沼からのぞんだ駒ケ岳です。朝日が差し込んできて裾野の樹林帯が、春の芽吹き前の枝先の色と朝日の色合いとが相まって桃色に変化していました。この息を呑むような美しい光景のなかに居ることが出来た、それだけで大沼公園に宿泊した甲斐がありました。しかも行き掛けに新聞配達の人に出会った以外は誰も居らず、貸し切り、独り占めです。沼面に鏡になってシンメトリーの駒ケ岳が見られたのも、この早朝のひとときだけでした。

食事前の2時間ほど、観光客も誰も居ない大沼公園で過ごしました。前日、森駅から描いたのとは随分ちがう姿の駒ケ岳も描くことができました。横に長いのっぺりした山容は捉えどころがなく難しいと思っていましたが、やはり描いてみないとわからないこと、見えないものがたくさんありました。向こう側、そしてこちら側と駒ケ岳の姿を回って見つめることができたことを心から良かったと感じました。

 

食事後はたった一人の滞在者の為に丁寧にお世話してくれた民宿を早めに発ち、観光協会でもらったガイド地図を参考に、まずは静かな「小沼」散策に出かけました。

 

大沼からのような駒ケ岳の姿は望めないものの、樹林と沼とが程よく入りくんだ環境は、すぐ脇にJRの鉄道や観光バスが走るような道路のある場所であることを忘れさせるほど、心落ち着く自然度の高さでした。散策路をゆっくり歩きながら充分に楽しんだ後は、再び大沼に戻りました。

 と、ちょうど大沼の入り口当たりに着くとアナウンスで「観光船がもうすぐ出ま〜す」と言っています。まったくそんな観光をする予定はありませんでしたが、まさに「渡りに船?」切符を求めて乗り込みました。ルンルンの観光気分で40分ほどの遊覧を愉しみましたが、これが一つ拾い物。手前の小さな島々が邪魔をしていて駒ケ岳の裾野と沼との際がどうなっているのか、スケッチのときによく見えず困っていたのですが、すっきりと“解決”! なるほど〜…とじっくり見る時間がとれました。

 

そうして下船後、再びスケッチ時間を取り、大沼のワカサギの佃煮や名物二色団子などを求めて、そしてここでもちゃんとソフトクリームを食べて、もう思い残すことはないと云う気分になって北海道を後にしたのでした。

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早春 北海道の旅 その4

 

本来なら中札内周辺で集中して描こうと考えていましたが、靄った山を前に潔く帯広を後にしました。

 

気象情報で天気図と雨雲の動きを調べると、帰路で向かう函館方面も悪くなさそうです。度重なる北海道訪問の際、必ずと言っていいほど繰り返し使う函館本線。その車窓には毎回、美しい駒ケ岳が見え隠れしていましたが、通過するばかりで実際に現場に降り立ったことは一度もありませんでした。そこで、北海道新幹線の始発駅に近い「大沼公園」に向かい、駒ケ岳が見えるかどうか、“勝負”を賭けてみることにしました。

 

しかし本命はもう一つありました。

函館本線にて窓外の駒ケ岳を毎度しつこく眺めていて、大沼公園駅より特急で一つ手前に停車する「森駅」からの姿がまた美しいのです。

 

釧路本線を南千歳で乗り換え、函館本線にて南下、いよいよ八雲(やくも)を過ぎ海岸線に沿って駒ケ岳が見える地点に近づいてきました。ドキドキしながら列車内のデッキに移動し、窓に顔を張り付けるようにして駒ケ岳を待ちました。

「見えた!!」「やったーー!!」

しかも降り立った森駅では、なんと!ホーム居ながらにして真正面に駒ケ岳がドンッと構えているではありあせんか。思わず涙が出そうになりました。一言駅員さんに断り、それからの一時間強、無我夢中で菊判の和紙いっぱいに駒ケ岳を描きました。時折特急が行ったり来たり、普通列車も停車しては出ていきましたが、自分の乗車する次の特急までの時間、めいっぱいを使えました。まさかホームで描けるとは思っていなかったので、これはありがたい誤算でした。すぐ左手は海です。ちょうど描き終えた頃に、まるで図っていたようなタイミングで急に突風のような強風が吹き始めました。もうとても紙を拡げて置けるような状況ではなく、ちょうど区切りが付いた時でこれまたありがたいことでした。

 

それまで思い切り描けなかった分、若干意気消沈の疲労感が漂っていた矢先に爆発的に描きまくった一時間半。描き終えて今度はちょっともぬけの殻みたいになり、大沼公園駅に降り立ちました。取り敢えず観光協会にて周辺のマップと情報をもらい、昨日急な予約にも拘らず、気持ちよく受けてくれた民宿に向かいます。

 

予約の時には気づきませんでしたが、その民宿は国定公園・大沼の際にあり、翌朝、思いがけない時間を過ごすことになります。

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早春 北海道の旅 その1

ここ一年少しの間に「大人の休日パス」利用で度々、北海道へ行っていました。今回はその北海道新幹線開業一周年によるパス発売にて、再び雪解けが始まっているであろう道東を目指して出かけてきました。

 

目的は開拓農民の山岳画家として有名な坂本直行の絵の世界を求めて、十勝方面・中札内(なかさつない)に向かいました。坂本直行の絵は、北海道帯広銘菓「六花亭」の包み紙のきれいな山野草の絵柄でご存知の方も多いと思います。

 

中札内にはその六花亭コレクションの直行や相原求一郎と云った山の絵の美術館がありますが、開館は残念ながらゴールデン・ウィークを待たないといけません。こちらは実際の山並みを求め画材を背負っての訪問、まずは第一日目、帯広まで向かいます。

 

北海道内に入るとあちらこちらに開業一周年のお祝いムードの飾り付けが目に入り、微笑ましい「作品」もありました。まずは写真にて道内に入った雰囲気をご紹介します。

鉄道風景画の世界

すでに2月のことで今回の展示は終了していますが、毎年春と秋、東京駅近くの「八重洲ブックセンター」1Fエスカレーター脇のスペースにて鉄道風景画家 松本 忠さんの展示会が開かれます。最初はたまたま通りがかりだったのですが、以来何度か足を運んで見せてもらっています。

 

松本 忠さんは現地で取材した写真を元に精密、繊細、とても丁寧な作画をされています。鉄道好きな人はもちろん、昔地元で活躍した懐かしい鉄道風景などを目にすると、ほのぼのした気持ちになります。

 

 

さて、作者の松本さんは自然災害や東日本大震災被害などで運休している路線、鉄道の応援もなさっています。現地の鉄道に乗りに行けなくても、そこの切符を買い求めることで少しでも力になろうとしているのです。

会場ではそうして求めた数々の切符をハガキ大のオリジナルシートに貼って、来場のお客さん達に無料でプレゼントしています。私も幾つか頂いていますが、なるほど、こうした「応援」もあるのだと松本さんの物静かな中の熱い思いが伝わるようです。

松本 忠さんのホームページ「もうひとつの駅」

 

 

当日はJR只見線への「愛」が強い私たち二人は、会場隅での立ち話でもその話題で盛り上がりました。2011年7月の豪雨被害で線路や鉄橋が壊れ不通区間があるまま過ぎていましたが、「上下分離方式」(線路や駅舎などを自治体が管理し、JRが列車を運行させる)にて復旧のメドがたちました

 

2月28日付け東京新聞の記事に放送大学の原武史氏(政治思想史)が「JRは只見線の魅力を活用できていない。新幹線やリニアなど高速鉄道や豪華列車で富裕層を対象とした格差社会に棹さすようなサービスに傾注し、鉄道の原点を忘れているのではないか」とあったのには、まさに同感。一般市民には完全に高嶺の花である豪華列車に、いったいどれほどの価値があるのでしょうか? 完全に公共性を喪失した昨今のJRの姿に、襟を正し原点に立ち戻ってほしいと切望します。

北の大地から 最終章

さて北海道の最終日、釧路からは「特急おおぞら」を利用して乗換駅の南千歳まで10分ほどの遅れで到着。しかし待ち合わせの列車も日本海側からの風雪の影響で遅れ気味でした。

窓外の景色も、今晴れていたかと思うと急にこのように真っ白な吹雪となり、広い北海道を走り抜ける列車の厳しい環境を体験します。

 

しかし北海道新幹線もあり、新函館北斗まで辿り着き夕方の便に乗車すればその日の内に東京に到着、都会のダイヤなら深夜になっても帰宅可能です。とは言え、雪などでの遅れの可能性も考慮して余裕をもった計画だったのですが・・・。

何故かここは新函館北斗駅ではなく、その先、終着の函館駅の写真です。

南千歳で乗り換えた「特急北斗12号」は遅れつつも予定していた次の新幹線には間に合う、と踏んでいました。ところが東室蘭駅で大停車。ようやく分かったのは国縫(くんぬい)黒岩間の信号機トラブル、結果2時間59分の停車となりました。

その時、乗っていた車両の乗客殆どすべては春節だったこともあり、中国の人たちでした。せっかく遥々冬の北海道まで来て列車がこんな状態では…と思うのですが、やはり大陸的なのか皆さん、おおらか。あまり気にしていない?気にしても仕方ないような雰囲気で3時間をのんびり待っているのには感心させられました。でも、車内販売が売切状態のなかでもちゃんとどこからか食糧を仕入れてきるのを目にして、おお〜逞しい!さすが!と思いました。

 

乗換最終の新幹線が仙台止まりでは、たとえ乗れたとしても深夜の仙台駅ホームで困ります。ようやく函館駅前のホテルを押さえ路頭に迷うことはなくなりましたが、函館駅みどりの窓口では、5日間期限の「大人の休日パス」延長が手間取りました。かなり待たされ手にしたのは、昭和そのものと言った感じの手書き手形(!?)=「業務連絡書(乙)」でした。初めて手にする目にするもの、疲れはしましたが普段経験できないことです。そしてなんとか函館まで到着したのは不幸中の幸い? 私の乗車した特急北斗以降の列車はすべてその日、運休になったそうです。

帰路にちょっとしたアクシデントもありましたが、これも旅の思い出。こうして一週間近い北への旅が終わりました。

北の大地へ その5

根室での充実した一日を過ごした後は、釧路に向かいました。「大人の休日パス」を目一杯使う為に一気に帰浜せず、釧路湿原を訪ねて行くことにしたのです。

 

その為に始発の「花咲線」に乗るべく、まだ暗い根室駅に向かいました。すでに列車は入線していて車内はポカポカに暖まっています。こうして定刻どおりの運行をするために、厳寒の雪のなか、どれほどの人たちが深夜から作業に当たっているのか…。今回の旅でもそうしたことを考えずにはいられません。

 

根室5:50発の各停列車も、停まる駅ごとに次第に仕事の人や学生たちをどんどん乗せて、後半は立っている人もいるほど。道北・稚内周辺の宗谷本線の殆ど人の乗降のない各停とは、ちょっと様子が違っていました。

 

釧路湿原では「一日ガイド」を頼み、効率よく広い湿原を回ることがができました。怪しかった天候も曇天ながら降られることもなく、それなりの眺望もきき、午前中は誰もいない樹林帯のなかのスノーシュー散策。午後はタンチョウの餌付けをしている所と保護活動をしているセンターを訪ねました。かつて、夏に釧路川を半日コースでカヌーで下ったことがありましたが、その時とは全く趣きを変えた湿原の雪のなかを歩くことが出来たのは、興味深かったです。短い時間でしたがスノーシューでたどり着いた人気のない展望台、そこから俯瞰した広大な湿原をしばし描けたのは我を忘れる‘集中時間’でした。

 

この三脚を立てたフィールドスコープを覗いている写真ーー湿原の決まったある木にやって来るオオワシを探しているところです。見事!ガイドのRさんはピッタリと狙いどおり、オオワシをスコープにとらえました。

 

こちらの写真は釧路川を泳いでいるシカです。ガイドのRさんが車を川沿いの道に走らせているときに見つけました。多分、滑って落ちたか雪(氷)のヘリが崩れたか…誤っての転落でしょう。川の流れに乗って泳ぎ自体は上手なのですが、これがどこまでもどこまでも陸に上がれません。時折這い上がろうと「努力」するのですが、実は雪のヘリの下には上から見えない氷が覆っているのです。シカの蹄の足では滑ってその氷を上がることができない。かなりの時間、並走して「がんばれ!がんばれ!」と思わず声を上げて応援していましたが、ついに見ている間にはあがることが出来ませんでした。

 

あのシカは一体その後、どうしたでしょう・・・・。

登山中の事故もそうですが、ちょっとした転倒やつまずきでも、場所が悪ければ滑落事故になったり時には死に至ります。自然界の生き物も日常茶飯にこうした過ちから命を落とす危険と背中合わせで生きていることがわかります。

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北の大地へ その2

さて旅の二日目、これは昼時に散策した折に撮った、氷結した釧路川です。いよいよこの釧路から今回の目的地、根室にむかうべく「花咲線」(根室本線の釧路から根室間の通称)の旅の始まりです。昼に接続のいい「快速ノサップ」がありましたが、敢えてその後の各停普通列車に乗車しました、根室着16:00。事前に資料をいろいろ送ってもらったり、電話での問い合わせに親切に対応してくれた根室観光協会(駅前)に立寄り挨拶してから宿に向かいました。

今ではネットで何でも調べられます。が、登山でも林道の状況など管轄の役所に電話すると信頼性が高く且つプラスαの生きた情報がもらえることが多々あるように、私は初めて訪ねる場所では地元の観光協会をフル活用させてもらいます。ネットで掲載されているものとは質の異なる情報が得られるだけでなく、たいてい心あたたまる対応で一気にその土地に行きたいモードが高まります。

根室に到着した翌朝、予約してあったレンタカーを利用してまず納沙布岬に向かいました。往路は半島先端に向かい右手に太平洋側を見て走り、帰路にオホーツク側を通ることにしました。通行車両が多くない道ということもあり、安全確認をしつつ何度路肩(と言っても雪で道幅は通常より狭まっている)に車を停めシャッターを切ったことか…。地元の車は平然と走り抜けるばかりで、それは当たり前なのですが、見るものすべて初めての私には何もかもが美しく、広大に拡がり、出来ることならそこに暫く留まりたいと強く感じる光景が連続します。日常や生活がすでに自然の厳しさのなかにあり、大雪原の中のサイロや地平と氷結の海との際にポツネンとある一軒家などを見るにつけ、一体その暮らしはどういうものなのか・・・想像もできず、ただただその白く美しい水平構図を見つめるばかりでした。

北の大地へ その1

再びの「大人の休日パス」で北海道の旅に行って来ました。昨年の台風10号被害で十勝地方が甚大な被害を受け、前回はまだ道央を通る石勝線が不通でした。しかし12月22日に開通し「特急おおぞら」が釧路まで走るようになり、今回は根室までの旅を計画しました。ようやく根室本線に乗れます。

 

これから数回にわたり、その根室本線の鉄旅と北海道の大自然にまつわるささやかな旅日記を記していきたいと思います。

(写真は北海道新幹線で東京駅から一気に新函館北斗駅までやって来た後、在来線「特急スーパー北斗」車窓から見える駒ケ岳の姿です。車窓からは山の姿が刻一刻と変化していき、それはすばらしい「劇場」空間を楽しめます。)

最北端への旅 最終章

これは稚内から旭川に向かう特急車窓から写した一枚です。(サロベツ川??)まだ厳冬期前ですが、川が白く凍っています。こうした景色は年明けの1月、2月に訪れないと出会えないと思っていました。今年の冬は殊の外早い降雪そして根雪で、降雪量の多さに地元の生活は厳しいものになるでしょう。そんなことを考えながらも、やはり旅人の目には美しく感じるのも正直なところです。

北海道からの帰路に乗車した稚内始発7:00の「スーパー宗谷2号」はこのカッコいい「ノースレインボー エクスプレス」でした! 前日までのトラブルの影響で車両を交代させたそうで、そのおかげでこんな展望車に乗車することができました。

 

それ以前に数日前、各停の遅延の為に「豊清水」という思わぬ無人駅にて上り「スーパー宗谷」の通過待ちをしましたが、その時雪煙を上げて通過していったのも、実はこの「ノースレンボーEXP」だったのです。(これは「つれづれ」にアップした写真を見てくれた“プロ鉄”の知人であるM氏の指摘により気づいた次第。本物の鉄の目にかかっては、あんな小さな写真の車両「顔」でも特定が可能なのだと感嘆仕切りでした…。JR北海道ご自慢のリゾート列車だそうです。)

 

単にミーハー的な乗り鉄もどきの私にとっては、思いがけずカッコいい車両に乗れるだけで大喜び。北海道の旅が、この車両により、なお一層想い出深いものになりました。

 (下記はその鉄道の思い出と共に、路線維持管理に携わっている人たちの姿を垣間見たショットを載せました。)

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最北端への旅 その4

6時間に渡る宗谷本線の旅も昼に終着の稚内駅に到着し終了。ちっとも長く感じず、正直もっと乗っていたかったほどでした。午後からは晴れ間がのぞく天気になっていましたし、日本の最北端「宗谷岬」に行ってみることにしました。稚内駅前からお得な往復バス券が販売されていました。「宗谷岬」までは片道50分の道のりですが、その路線バス自体がなんと時刻表で2時間40分も費やす超長い距離を走り通すもので、それだけで北海道の広さを感じます。

到着した宗谷岬、上の写真はまさに日本の最北端を示すモニュメントです。晴れ渡っていればすぐ目の前にサハリンがくっきりと見えるそうです。オホーツクからの強風が吹きつけていましたが、駐車場からモニュメントまでの周辺はきちんと除雪されていました。

宗谷本線終盤と稚内到着の情景は下記の写真でご紹介します。写真をクリックすると大きくなり、コメントが下に表示されます。

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最北端への旅 その3

さて「豊清水」でかなりの時間を過ごした後、動き出した列車。乗客は地元の人一人と乗り鉄のお兄さんと私だけで、まさしくJR北海道の厳しい現実を肌で感じるのですが、それでもやはり列車を待っている人もいます。

 

長いこと停車した「豊清水」の次の次、無人駅「咲来・さっくる」で大荷物を背負ったバックパッカーが乗車してきました。聞けば野宿をしながら歩いて回っているとのこと。その人は私に「どうして遅れたんですか?」と尋ねてきました。誰もいない無人駅で、どうして列車は来ないのだろう…とずっと待っていたはずです。

そして遅延の為に予定していた「音威子府」での停車時間がなくなり、食糧補給も叶わず「朝食を仕入れることが出来なくなりました」とも。山での縦走で、ちょっとした美味しい食材をもらったりすると嬉しくもありがたい経験がある私は、手持ちの“お菓子パック”からチョコビスケットとナッツ・バーの行動食を差し出しました。多少の足しにはなったかな?です。このバックパックの人は「問寒別・といかんべつ」という何もない駅で下車しました。再び雪の道を単独、歩いて行くのです。ご本人曰く、出身地は関東だが今は北海道に住んでいて夏はバイクで、冬はこうして徒歩でウロツイているのですと。北の大地では、こうした「強者」が時折居るとのこと、同乗の乗り鉄お兄さんが語っていました。鉄道もスゴイけれど、そこに生きている人もまたスゴイと驚きです。

 

驚きは続きます。各停で停まる駅は殆ど無人駅なのですが、その駅舎もかなり年季が入っているものが多いなか、これは「◯ナバの物置」そのもの!の「糠南・ぬかなん」駅です。秘境駅の一つらしいですが、乗降客は居ません。こうした駅が幾つも続くのが宗谷本線各停の名寄以北の現状です。

 

いくら頑張っても人口が少なく利用客の確保が望めない路線は、いずれ廃線に向かうしかないのか…と重い気持ちになりますが、旅情などでどうなるものでもありません。それでも無人駅のすべてはどこも必ず除雪されており、車両や路線整備にしろ、大方の安全確保の作業は人の手によるものです。どれだけの人たちが安全運行の為に極寒の中、厳しい作業に従事していることでしょう。冬の平日の各停は数人のみの乗客でしたが、特急列車にはそれなりの利用者があります。特に仕事で利用する人には欠かせない移動手段だと聞きました。もちろん貨物輸送で占めるウェイトも小さくありません。鉄道の役割は今だ重要であるはずです。

最北端への旅 その2

朝まだ暗い内に旭川駅に雪を踏みしめて向かいます。下り稚内まで通しで行く列車は一日三本のみ、各駅停車で終点稚内まで走るのは6:02発の一本のみで他二本は特急や快速です。

 

5時半には駅に到着し入線時刻前にホームで待っていると2両編成のワンマン車両が入ってきました。「キハ40 1712」と書かれた車両に乗り込みますが、こちらは名寄(なよろ)までの運行で切り離されてしまいます。宗谷本線もご多分に漏れず朝の各停は学生の通学列車であり、それも名寄まで。あとは稚内終点まで、当日は乗り鉄の男性一人と私、そして途中乗車・下車のバックパッカー1名と地元の人2名、ほぼそれだけでした。これがJR北海道の現実です。いくら広大な北海道の旅には鉄道がいいと言ったところで、それは生涯に数度しか乗ることのない気まぐれな旅行者の言い分です。

 

これからの6時間近くに及ぶ宗谷本線の旅も、そうしたJR北海道の抱える厳しい現実と、それでもその中で頑張って日々鉄道の安全運行に尽力している“鉄道マン”達の、厳しい自然や老朽化との闘いを間近に見る旅でもありました。

 

これは名寄を過ぎ、連結していたキハ40も切り離した「キハ54 529」が「豊清水」で20分以上もの停車をしているところです。人影のない無人駅、本来このホームに足跡がつくはずもなかったのが、まさかの停車。歩き回って沢山の足跡を残しまくりました。

 

これには理由があります。

朝、旭川を出発した列車は市街地の駅を細かく停まっては座席も埋まるほどの学生や地元の人を乗せて走っていました。暫くすると窓外は人工物のない雪の自然をかき分けるようになり、次の塩狩駅に向かって塩狩峠をエンジンをゴオーゴオー唸らせて登っていきます。峠を登りきってようやくエンジン音も静かになったと思ったら急に列車停止。何もない雪の中にポツネンと止まってしまいました。何だろう?と待っていても、ここがワンマン運転の大変なところで、確認も連絡も放送もすべて運転士さんが一人でこなさねばなりません。「確認してまいりますので、しばらくお待ちください」のアナウンスから待つこと数分。ようやく戻って来てからの放送では「ポイントが動かなくなっています。只今作業中ですのでもう暫くお待ち下さい」と。塩狩駅手前のポイントの線路と線路の隙間に雪が埋まってしまい動かなくなってしまったのを、保守作業の人たちが取り除き20分ほどの遅れで動き出しました。想像するに、本格的な冬前の前夜の降雪は水気も多く、しかも写真の通りの好天。水っぽい雪は重く固まりポイント線路の隙間に執拗に張り付いてしまったのでは?というのが素人ながらの推測です。

 

ところがこの遅れが後々までひびき、本来上り特急「スーパー宗谷2号」とすれ違う筈の「音威子府・おといねっぷ」に定刻に到着できないため、4つ手前の複線の駅「豊清水」にて特急待ち20分以上の停車と相成った次第。音威子府駅での10分停車で記念スタンプを押したり、駅舎を見ようとの計画はパーになりましたが、ハプニングによって何もない無人駅の「豊清水」で過ごせたのはまず経験できないことで、もしかして物凄い‘儲けもの’だったかもしれません。

 

さんざん待ってやって来た旭川行きの「スーパー宗谷2号」は雪煙を上げて勢いよく短いホームを走り抜けて行きました。(写真はやってくるスーパー宗谷)

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最北端への旅 その1

少々間の空いてしまった「つれづれ」でした。今日からしばらく、北海道の旅を語っていきたいと思います。

今回もまたJR東日本の「大人の休日パス」利用の旅です。「寒い冬には北に行け」という諺に従い北海道の最北端に向かいました。目的は宗谷本線乗車です。横浜から鉄道利用なので始発に乗っても初日に行けるのは旭川までです。

青函トンネルを抜けると雪は降ったりやんだりでしたが、窓外も薄暗くなる頃にはしっかりとした降雪に変わっていました。11月終わりから12月始めにかけての雪が根雪になることは珍しいそうですが、訪問時の道央はすでに雪世界と化していました。

 

着いた旭川駅前には小山のように除雪された雪が固まっていました。写真はすっかり夜の風情ですが、夕刻です。北の日没はかなり早く、しかも雪模様、何となく気が急いてしまいます。

 

初日12時間ほどの列車の旅、そして翌日からは‘本番’の宗谷本線の鉄旅が待っています。夕食は手軽に駅ナカのそば屋(ラーメンも日本そばもある)の券売機にて味噌ラーメンを求めました。空腹も手伝ってか、これがなかなか美味しくて「さすが北海道のラーメン!」と妙に感心してしまいました。さあ、いよいよ北海道、憧れの宗谷本線の旅が翌朝から始まります。

霧訪山(きりとうやま)再訪

長野県の霧訪山・きりとうやま、この美しい名前を持つ山を知ったのは数年前。ちょうど山頂に翁草が咲いている時期でしたが、保護されている翁草はあまりにささやかで、拍子抜けするほどでした。が、予定していなかった下山コースに取った大芝山には足の踏み場がないほどの花が咲いていて、思いがけない春の贈り物に大感激だった思い出があります。

 

さて、前回は車での訪問でしたが、今回は鉄道利用で最寄りの「小野駅」から歩く計画です。鉄のプロでもあるM氏が念入りに立てた登山計画は、中央本線の支線的存在の塩尻〜辰野間「大八廻り」を利用して訪ねる山旅でした。

 

 

かつての中央本線(中央東線)は岡谷〜辰野〜塩尻で、現在の塩尻峠・みどり湖経由ではありませんでした。これは伊那谷経由ではなく木曽谷経由に決定された中央西線ルートを伊那谷出身の代議士で鉄道局長だった伊藤大八が政治的采配にてせめても伊那谷入口の辰野経由にしたということから、これを「大八廻り」と呼ぶわけですが、当時の技術では塩尻峠にトンネル貫通させる事が厳しかったという理由もあるそうです。

 

ともあれ、かつての本線の面影も消え、終日同じ2車両(ワンマン)が行ったり来たりしているこの歪曲した辰野支線に乗車し「大八廻り」を実感しつつ霧訪山を訪ねるというのが今回の計画なのです。

 

小野駅から国道を歩き、弥彦神社を左に入ると長閑な田畑が拡がる里山風景となります。ほどなく登山口、しかしそこからの登りは始めから急な階段、時折傾斜が緩みますが、全体かなりの急登です。

 

当日は途中の「スーパーあずさ」からも甲斐駒や八ヶ岳が美しく見えましたが、高曇りながら無風で遠くの山並みがクリアーに見通せる登山日和でした。上の写真は山頂から見えた穂高連峰や右端の黒っぽい三角は槍ヶ岳です。目を転じるとその先には後立山連峰の真っ白になった山並みが、爺ヶ岳・鹿島槍ヶ岳・五竜岳・そして蓮華岳・白馬岳とつづき、ちょうどその方面に雲の切れ間から差し込む光によって、白い高嶺がスポットライトを浴びたようにより真白く輝く様が見て取れました。しばし山頂にて、光と白銀のパノラマ劇場に酔いしれました。

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三陸沿岸を乗り物で〜その2

さてBRT(バス高速輸送システム)の終着駅「盛駅」からは三陸鉄道南リアス線に乗り換えます。

盛駅前は向かって右手がJRの駅舎、そして左側に三陸鉄道の駅舎が並んでいますが、JRは鉄道ではなくBRTのバスなので今ひとつ‘活気’に欠けます。

 

その代わり?三陸鉄道の方は写真のように広くない駅待合室ですが、所狭しと「三鉄グッズ」が並べられ、目移りしてしまうほど。しかも駅職員の女性がとても細やかに温かく接客してくれて、何となくお土産の一つでも買いたい気分になります。売店脇のテーブルと椅子では、地元のおじさん達がお茶をしながら世間話をしていました。とてもいい雰囲気の駅でした。

さて、いよいよ出発です! 当日は梅雨の空模様でしたが、列車が走りだすと「ご利用ありがとうございます!」という横断幕を持って、駅員の女性が外で手を振って見送ってくれていました。三鉄のこうした心配りと鉄道運行に対する前向きな姿勢、これは震災後わずか5日後に北リアス線の久慈〜陸中野田駅間に「復興列車」を走らせ、以降、2014年4月6日には全線復興させた頑張りに象徴されるようにそのまま各所に表れ、私たちに伝わってきます。駅だけでなく列車の運行自体も、リアス式海岸の名勝である美しい湾を通過する時には速度をグッとゆるめて、景勝地をゆっくり眺めたり撮影したりできるようにしてくれていました。特に「恋し浜」という素敵な名前の駅では三分ほどの停車時間をとって、乗客が自由にホームに出て楽しめる、心憎いサービスもありました。

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三陸沿岸を乗り物で〜その1

五葉山再訪の続きというか、こちらは山ではなく「平地」の旅の話を少々綴りたいと思います。

 

今回の「大人の休日パス」では郡山から東北新幹線で一ノ関に北上し、そこからは在来線の旅となりました。昨秋、青森県・種差海岸を訪ねながら八戸からJR八戸線で南下し、念願の三陸鉄道(北リアス線)に乗車できたので、今回は南から北上です。

 

東日本大震災後何度か訪ねている東北も、自家用車か観光用のバス利用でしたので、今回は是非、地元の在来線とBRT(バス高速輸送システム)に乗車したかったのです。

 

写真は、新幹線の一ノ関駅からJR大船渡線(ドラゴンレール大船渡線)に乗り換え到着した気仙沼駅の様子です。本来ならここから「ドラゴンレール」の呼び名の如き、物凄いうねりを描いた路線が陸前高田経由で大船渡へと向かっていたのですが、津波被害で破損した線路上を道路にしてBRTと呼ぶバスが走るシステムになっているのです。バスなので勿論、路線ルートからはずれ町中もくまなく走り回ります。

私が乗車したバスはかわいい「ホヤぼーや」(気仙沼キャラクター、結構お気に入りで個人的には色々なグッズを持っています=密かなマイブーム)のラッピングバスでした。

しかも、これが乗ってビックリ。内装もシートの柄や観光用パンフレット置き場など三陸の海のイメージで統一したデザインバスで、しかも天窓付き! 乗客の概ねは地元の人のようで殆ど無関心の様子でしたが、私は内心一人でいたく喜んでいました。

 

ささやかな事かもしれませんが、こうした事に現地の観光や復興に向けるちょっとした「がんばり」が感じられるのです。少なくとも私には・・・。

(様々な旅の様子をご紹介します。キャプションと共にご覧ください。)

北海道の旅Ⅳ

北海道の旅の最終章を再びこの「はまなす」で飾れる幸運に恵まれるとは思っていませんでした。事前に切符購入で「みどりの窓口」に行った折、ダメ元で帰路の札幌〜青森間の「はまなす」空席を聞いてみました。あっさり「ありますよ」。しかもB寝台が残っているとのこと! 天にも昇る思いでした。

 

それはさておき、斜里岳の麓「清里町駅」から乗車した四日目、日中の釧網本線「快速しれとこ」、これぞ北海道鉄道の旅!といった素晴らしいものでした。釧路湿原の中に敷かれたレールの上を走る車両は、外から見ても絵になるでしょう。車窓からは何処までも拡がる北海道特有の景観を楽しめ、うっとりとします。

そして釧路から札幌まではスピード感ある「スーパーおおぞら」にて、それでも4時間の移動。札幌に着くと気持ちは「はまなす」入線時刻に向かいそわそわです。もうこれで生涯において、ブルートレイン寝台車の乗り納めです。待つこと漸く、21:38にゴーーーっという迫力ある重低音のエンジン音を響かせながらDD51がやってきました!

今回の「はまなす」のお伴は『大雪の蔵』。通路の収納椅子を出して急行B寝台指定券と一緒に記念撮影です。この引出し椅子に腰掛けて流れる夜の車窓景色を追いつつ、チビチビと酒を呑む=なんだか完全にオヤジの世界ですが実際この車両、乗客は全部男性でビックリでした。(たった一人中国人観光客家族の妻が一番角の寝台に居ましたが。)他の車両も同様のようで、厳冬期の北海道、B寝台に乗る女性客は皆無なのだと知りました。しかし、それでもその独特の雰囲気にしっくり馴染んでいる自分・・・。眠くても眠ってしまうのが勿体ないような、最後の寝台列車の旅の終章なのでした。

(拙い写真ですが、鉄道の旅の雰囲気を少々ご紹介します。)

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北海道の旅Ⅲ

斜里岳の麓、清里町での一日=移動日でなく滞在できる貴重な一日は、ペンションのオーナーのお勧めで「宇宙展望台」に向かいました。除雪してある所まで送ってもらい、そこからはレンタルのスノーシューにて展望台まで登っていきます。本来なら正面に大きく斜里岳が見えるはずですが生憎山は雲の中。やむなく雪原風景を描いていると雪が舞い始め、傘を差しながら尚も描いていると横から降りつける雪がドンドン積もり始めました。一瞬にしての天候急変。慌てて片付け下りれば展望台下に置いてあったスノーシューも雪に埋もれ始めています。

 

で、除雪してある道路にやっとこさ出たら、あれま!青空ものぞいています。雲や風の動きでコロコロ天気が変化…。

(写真中央に小さく見えるのが展望台のヤグラです)

結局その日は、晴れたと思えば吹雪いたり、青空かと思えば猛烈な寒風が吹き付けたりで肝心の山は全く姿を現してくれませんでした。ペンションに戻り、絵の道具をそのままに広げさせてもらっていましたが、山を描くことはできず、その代わり美しい雪原を描いていました。(写真は斜里岳が正面に見えるはずの大きな窓とそのままにしてある絵の道具)

 

斜里岳が一番きれいな西日に映える時間まで待ちましたが雲は取れず、夕方には町の温泉の一つ「緑清荘」まで又送迎してもらい温まってきました。町の温泉は源泉掛け流しなのに均一390円也! 夜はおいしい食事をいただいた後はオーナー山下氏の豊富な経歴と経験・話題に満ちたお話を伺って、山は描けずともとてもいい一日を過ごせました。

北海道の旅Ⅱ

暗くなる前に駅まで戻ろうと16時頃に「北のアルプ美術館」を失礼し雪道を歩き出しました。空は夕刻に向かい淡い桃色に染まりだし、振り返れば生クリームをもっこり盛ったような純白の海別岳が雑然とした町の向こうに、この世のものとは思えない美しさで在るのです。息を呑むような神々しさ… ほとんど車も来ない車道の真ん中に立ち止まっては、思わず小さな画帳に描きます。

 

もっと見える所があるはず!もうすぐ夕闇になってしまう!と心は急くばかり。何度も何度も振り返りつつ駅に向かい必死で小走りし、駅手前に線路をまたぐ高架橋を見つけました。駆け上るとやはりそこからが一番よく海別岳だけでなく斜里岳もよく見えます! 

手元が見えなくなるまでスケッチしていると、辺りはもう真っ暗。白い山もぼんやりとして、もう形がつかめなくなっています。やむなく駅に戻り「本当に美しかったなー」と感慨に耽りつつ、冷えきった身体を暖かい駅舎の待合室で温まりながら夕刻の鈍行列車を待ちました。今夜の宿は清里町、斜里岳の麓にあるペンションです。

ペンション「ロッジ風景画」は昨年末、たまたま耳にしたNHK第一の「ラジオ深夜便」の「日本列島くらしのたより」にオーナーの山下健吾氏がリポーターとして登場していて、その存在を知りました。

早速翌日ネットでペンションを調べ、メールにて連絡を取ってみました。そして場所が「北のアルプ美術館」とさほど遠くなく、列車で行っても宿へ送迎して下さるとのことで、旅の計画の具体化にグッと力を与えてくれました。

 

斜里岳を描きたかった私にとって、居ながらにして正面に山を見ることの出来る宿は願ってもいませんでした。でも実際は生憎、前夕 高架橋で描いて以降、斜里岳はずっと雲に隠れて全貌を見ることが出来ませんでした。

しかし斜里岳や海別岳を近くに見て、北側にはオホーツク海を望める自然豊かな只中にあるこの宿は、これからも北海道を訪ねるときには大きな魅力(足場)になることに違いありません。

北海道の旅Ⅰ

過去にも登場したJR東日本の「大人の休日パス」ですが、冬期間(今回は1/21〜2/2)を利用して五日間の北海道の旅に行ってきました。日頃の雑用の山で中々一歩を踏み出せないでいるところ、山岳会の先輩方から『北の国には冬に行け、南の国には夏に行け』という欧州の諺がある…とご自分の体験も踏まえて背中を押して頂き出掛けてきました。

 

すべて鉄道利用で青森までは新幹線で移動しても、あとは在来線の乗り継ぎです。今回の目的の知床斜里にある「北のアルプ美術館」までは往路で二日間費やしてやっとたどり着きます。そして帰路にまた二日間必要で、中日一日を斜里岳の麓で過ごしました。

写真は函館〜札幌に向かう「スーパー北斗6号」の車窓から見た駒ケ岳です。北海道に入ると青い空になりました。)

初日は旭川に投宿し、二日目は石北線「オホーツク1号」にて網走に向かいます。初日の札幌までの移動では自由席が超満員で大変な思いをしたので指定をとっておきましたが正解でした。同好の士(中高年の“お得パス”利用者)も多いのですが、もっと多いのが中国からの家族旅行、その他韓国、タイの若い女性グループもありました。ちょうど天気もよく、白く拡がる広大な北海道の美しい景色が車窓に流れます。海外から遥々日本での旅、好天でよかったなーと思いつつ、楽しいものであるようにと願いました。

(写真は網走から知床斜里への各停車窓から見えたオホーツク海に浮かぶ白い知床連山=半島)

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夜行急行

最近はニュースなどで次々と姿を消す寝台特急が取り上げられ、そうするともう決してその寝台券は取れないほどの‘競争’になります。その影で静かに毎晩本州の青森と北海道の札幌を結び走っている夜行急行があります。

まだ今なら寝台券が手に入るかも…ということで、例の「大人の休日パス」を利用しての計画。間際まで日程が調整できず、ギリギリの二日前に「みどりの窓口」へ出向き空席を尋ねたのがどうも良かったのかもしれません。最後の一枚(キャンセル分だったのか?)が取れました。

私はただ単に列車に乗っているだけで嬉しいのですが、やはりこのブルートレインにはそれなりの思いがあります。すでにどこも新幹線で速く便利に移動できますが、鉄道には移動手段としてだけでないもっと別の意味合いを感じます。しかし「採算」という現実の前には無力なのでしょう。たまにしか利用しない旅人の思いは身勝手なものでしかありませんが、こうして夜行や寝台列車が惜しまれながら満席になるのは、現代人が利便性だけでないものを移動手段の鉄道に求めている一つの表れでもあるのではないでしょうか。


各JRでは極端な「豪華列車」を仕立てては完売していますが、一握りの‘セレブ’が楽しむだけの乗り物になってしまうのでは何だか悲しい気分です。世の趨勢・鉄道事情の将来は「豪華さ」に向かっているようですが、鉄道とはもっと多くの人がちょっと頑張れば乗ることの出来る「贅沢」であれば充分で、ひとときの夢を味あわせてくれるものです。そんな淡い思いも「採算」の前には無用でしかなく、時代の流れに逆らえないということでしょうか。


JRも儲かっている東海であるなら同じ仲間会社の北海道を助けたりして「ユニバーサルな足」としての鉄道をもっと総合的に経営できないのか…と素人は考えたりします。少なくとも極々一部の人間しか前向きになっていないリニア新幹線などに巨費を投じるよりはずっとマシでしょう。

リニア新幹線については過去の「つれづれ」をご参照ください。

北斗星

これは上野駅到着時の上り「北斗星」の先頭車両EF510の星マークです。

あと10日ちょっとに迫ったダイヤ改正で、このブルートレインの寝台特急の定期運行も終わりとなります。

「あけぼの」に続き又一つ、列車の旅が失われます。

特に鉄道に詳しい訳ではありませんが、昔から列車に乗るのは好きでした。今はなき千葉の国鉄木原線や三保の松原の清水港線などを何故か乗り歩いていました。のどかな車内では宴会を始める「老人クラブ」の乗客や車掌と話し込む地元のおばさんなどのスケッチをしてのんびりと一日の鉄道旅を楽しんでいました。

 

ブルートレインは昭和生まれの人間なら誰しも、何とも言えぬ郷愁を抱くと思いますが、老朽化は如何ともし難いようです。そして世の中は「新幹線」が走り巡りどこでも数時間で到着する時代になりつつあります。高速化・利便化で人の流れもそれなりに変わるでしょう。

 

が、地域の活性化の為に何が一番有効かと言えば「鉄道を各駅に停めること」と鉄道関係の方(名前失念)の言がありました。人は新幹線が来れば地元が活性化すると喜びますが、それは点と点の話で、すべてが帰着する東京集中にますます拍車がかかるだけではないか…というのです。線をつなぎ、人の暮らす「面」をつないで行くものは、私たちが排除していっている‘ローカルな’各駅停車の路線なのかもしれません。


年末の読書と「面白い?動画」

普段の生活で一番集中して読書できるのが(私の場合)電車の中ですが、そんな細切れ読書のなか、年内に敢えてここの欄で取り上げたいと思った一冊をご紹介します。

 

『リニア新幹線ー巨大プロジェクトの真実』(橋山禮治郎著 集英社新書) 硬い本ではありますが、一般的な新書にあるような読みにくさもなく、え~~~!!と驚きの連続で読み進みました。


この本の著者は「賛成」でも「反対」でもないというスタンスですが、細かいデータによりこの計画がいかに誤っているかを次々と展開していきます。

お正月向きの内容かどうかは疑問ですが、年末年始の休みに一読してカッカとくれば寒さも忘れる??でしょうか。

 

それよりも笑って分かる動画がお好みの方は、どうぞ下記のYouTubeをご覧ください。現実は笑っていられませんが・・・。