石砂山・いしざれやま

年内最後の山は先日につづき神奈川県・藤野の奥、菅井集落からの石砂山に行きました。

 

この山は時季になるとギフチョウで有名?ですが、今は木々がすっかり葉を落とし、明るい冬枯れの登山道をカサカサ音をさせのんびりと歩くにはもってこいの山です。577mの山頂は双耳峰になっていて小山ながらはっきりとした2つのピークは遠目にも目立ち、山座同定には重宝です。

昔、春に登ったときに春蘭をスケッチしていると、傍らをギフチョウが何頭か戯れ飛んでいるのを見たことがあります。その頃はまだ石砂山もさほど「有名」でもなく長閑でした。

下山時にはもう一つのピークにも立ち寄り、ベンチも標柱もない落葉でフカフカのこちらの西ピークの方がいいな〜と思ったのでした。

 

足元にはすでに枯れて種がドライフラワー状態になったコウヤボウキが途切れることなくあり、かつての丹沢もこんな感じだったなーと思い出すのです。私が道志界隈や中央線沿いの秋山川周辺の山が好きなのも、以前丹沢でもこうして当たり前にあった植生が、まだこの周辺には残っているからか・・・とも感じました。「自然保護はノスタルジーだ」と語った本がありましたが、妙に納得の気分になってしまいます。

 

下山後は「仁の丘農園」の東屋にて、丹沢の袖平山などをバックに正面には姫松山を眺めつつ、一年の山行が無事に終えたことに感謝し、一緒に歩いた山友と干し柿と日本茶で‘お三時’を過ごしました。

なにかと気ぜわしい年末ですが、一日(いや半日)こうして静かな山で過ごし新年の準備に向かうのも、山好きの納めとしては申し分ないものです。

 

神奈川・藤野の山

時折お声をかけて頂きご一緒している横山厚夫さんとの中央沿線の山歩き、暖かな一日だった冬至に神奈川と山梨の県境近い藤野町の低山ハイクに出かけました。今日の目的は峰山から派生する尾根上の414メートル峰です。木漏れ日が暖かい風もないまことに気分のいい冬の山歩きで、ちょうど町の学校?から昼を知らせる鐘が聞こえた頃に私たちも背中にお天道さまを背負ってお昼としました。

その食事時、ご一緒の山田哲郎さんがお尻に敷いていたのが今では殆ど目にすることもなく、まして「現役で」使っている人はまずない「尻皮」です。これは穴熊の毛だそうでフカフカでした。昔は一番高級なのがカモシカのもので、勿論もう手には入りません。同行の方が珍しい尻皮を当たり前のように使ってられるのが、何だかちょっぴり誇らしく感じたのでした。(※尻皮は猟師など山仕事の人が腰に巻いて座るときに使用していたもの)

 さてその後、目的の414メートル峰への取り付きが伐採後の尾根を辿ってしまったりで不明に…、どうせ下れば綱子川沿いの道に出るだろうと414ピークはあっさり諦め無理くり急降下しました。メンバーは皆さん私より大体30年ほど先輩(昭和シングル)世代です。植林帯のグズグズと足場の悪い所でしたが「ちょっと大変だったわね」と康子夫人がおっしゃって最後、笹ヤブをかき分けポンッ!と道に飛び出しました。いやはや、最年少の私が圧倒されるパワフルさと‘足回り’です。しかし、こうした低山歩きにはこんな事がつきもので、だから山歩きは面白くやめられないのです。

 

下山後は「奥牧野」バス停に出てタクシーの迎車待ちをしましたが、そこにある野菜の無人販売所には立派な白菜や大根など冬野菜が並んでいました。この店の主、おばちゃんが出てきてしばしおしゃべり。お年はご同行の皆さんと同じ位だそうで現役農業、そして「歌が好き、マイク持って歌うんだ」とのこと。以前から時折ここを車で通るときはこの店で買い物をさせてもらっていたのですが、なるほど、この元気なおばちゃんが野菜をこしらえていたのかと「作者」を知ってますます愉快になった待ち時間、山の締めくくりでした。

富士と面する

前日の天気予報では晴れマークだったところが急に強い寒波襲来で雪マークに。朝、車を出発させたその車中でもまだ行く先定まらずで、同乗の山友さんと頭を絞っていました。で、高速を西か東(北)か…インターを入ったところで西へ舵を切り今日の目的地を御坂山塊と決定しました。

 このキワドイ選択が大当たり。登ったのは雪頭ヶ岳から鬼ヶ岩、そして鍵掛峠から西湖に下るという周回コースでしたが、朝一番の登りでは5℃を切る気温のなかでも少々汗ばむくらいのアルバイト、そして振り返れば正面に富士山が広く裾野を広げていました。眼下には西湖が輝いていましたが、この光景も数時間とはもちませんでした。

富士山を正面に見る雪頭ヶ岳には昼前に到着し、とりあえず早めのお弁当にしましたが、そうこうしている内に雪炎を吹き上げていた富士山に雲がまとわりつき、もう山頂は見えなくなりました。みるみる山の天候は変化します。

 

場所を移して鬼ヶ岩山頂、写真の岩は「鬼の角」です。

その向こうに見えているのが険悪な岩場の続く山ですが、この日のスケッチはこの鬼ヶ岩の角にてその十二ヶ岳を描きました。スケッチが終了すれば、下山開始。

それからは鍵掛峠までロープも所々にあるちょっとスリリングなアップダウンの稜線歩きですが、所々に大きなブナの倒木が目につきます。私が昔よく歩いていた丹沢の稜線の光景が思い出されました。御坂でも自然林にはシカの食痕が目につき、立ち枯れや途中から折れるように倒れているブナの大木を見るにつけ、この山も声なき‘悲鳴’を上げているような気がしてなりませんでした。

不思議な出会い

南信・阿智村にある山に行ってきました。初日は落葉を踏みながら網掛山(1133m)へ。途中の網掛峠には手造りの展望台があり、そこには「雑記帳」が設置されていて「なんでもご自由にお書き下さい」。地元の人たちに大切にされているのが分かります。私はその大学ノート見開きに展望台からの眺望をボールペンにてスケッチ。そして歩きやすい昔ながらの旧道を登りつめると山頂を案内する不思議な標識が・・・。

 以前なら変なものがあるなーで終わっていましたが、その時は瞬間的に「あ!これはヲシテ文字だ!」とわかりました。この秋に旅をご一緒したロス在住のMさん(明治期の登山家・山岳画家である中村清太郎氏のお孫さん)が何を隠そう、このヲシテ文献を研究していたからです。滋賀の旅を共にしたのもMさんがこの文献研究の為にその地を計画したからでした。

 このヲシテ文献が1966年に滋賀県で発見されるまでは日本の歴史は古事記や日本書紀が原点でしたが、原文同士の対比比較の結果ヲシテ文献が両者の編纂された時の原書であることが判明したそうです。


しかし何故それがこの長野の南にあるのでしょう? 山頂にはその由来が事細かに書かれた立派な説明板が立っていました。阿智村・網掛山・・・ヲシテ文献によるとこの地には重大な歴史があるとのことで、ひとしきりその説明板の由来を読みふけりカメラでも撮影。ふと何気なく訪ねた遠方の(殆ど地元以外では知られていない)山での思いがけない「出会い」に驚きつつ、何か不思議な縁を感じざるを得ませんでした。


そしてこの山の次なる「ご褒美」は、山頂から少し下ったところにある東側に開けた第二の手造り展望台でした。ちょっと危なげだけど、そこからの展望は日本一!と言いたくなるようなもの。壮大な南アルプスが端から端まで一望できるのでした。三千メートルの高嶺はすべて白銀に輝き、お弁当を頬張りながら極上の眺めを心ゆくまで楽しんだのでした。