友人の切り絵作家 篠田香織さんの展示会をご紹介します。
今年の早春に私も飾らせてもらった横浜中区の「ギッフェリ・カフェ」にて今開催中です。
繊細で美しい、モノクロのキリリとした切り絵の世界です。モチーフは彼女の鎌倉の住まい、庭の草花や訪れる虫たち、家猫くんや身近な自然にまつわるものたちです。気の遠くなるような緻密な作品の数々です。
おいしいクロワッサンとコーヒーと共に、お近くの方は是非足を運んでいただけたらと思います。
会期は9月5日(月)まで。お店は平日(月〜金)の10:30〜15:30です。(土日はお休みです。)
今回の最後の宿は尾瀬のなかで一番歴史のある「長蔵小屋」に宿泊しました。
沼から群馬県への下山路、三平峠を下った一ノ瀬まで現在では未舗装の車道が通っていますが、この道の先にかつて、三平峠を貫き福島側の沼山峠に至る自動車道路建設が進められていました。
尾瀬を開拓し、燧ヶ岳登山道を拓いた初代主の平野長蔵は大正期「尾瀬沼ダム化計画」に反対し奔走、当時の内相に請願し阻止しました。これが自然保護が社会問題となった最初ですが、初代の遺志を継ぎ二代目長英、そして三代目の平野長靖も尾瀬の自然保護に尽力しました。昭和生れの三代目・長靖は初代環境庁長官・大石武に目前まで迫っていた自動車道建設工事の中止を直訴し1971年7月に止めることが出来ましたが、過労を押しての同年12月の下山中、三平峠で凍死、36歳の若さでした。(長蔵小屋HP参照)
水芭蕉やニッコウキスゲを思い描く憧れの湿原〜“遥かな尾瀬”も、実はこうした先人の命をかけた生涯によって守られていることを、心の片隅におきながら歩ければ…と思います。
尾瀬ヶ原の入口「山の鼻」で迎えた朝、至仏山はすっぽりと雲のなかでしたが、原の木道に出てみると幸運なことに燧ヶ岳(ひうちがたけ)がきれいなシルエットで望めました。途中で見え隠れしていましたが、山頂が隠れる前に一枚スケッチもでき、行楽スタイルのハイカーと共に歩き出しました。今回は竜宮ではなくヨッピ橋経由で見晴に出るコースを取りました。なにもかも、本当に久しぶりの尾瀬ヶ原です。
これはヒツジグサ=未草、です。
尾瀬入りした日、午後の時間を利用して尾瀬ヶ原の入口「山の鼻」まで足を伸ばし、今まで訪ねることのなかった「尾瀬植物研究見本園」を巡りました。歩いた時間がちょうど午後2時ころ、未刻でした。この花の開花時間にちょうど居合わせることができました。普段、登山のための早朝出発時にはこの美しい真白い花をみることができません。
思いがけない花との出会いでした。
昔の山仲間のお盆休みに合わせての山行、どこも混み合うので行く先を考えるのが悩みの種ですが、今回はまた「百名山隣の山」という例の裏ワザ?を使って尾瀬の入山口、鳩待峠に向かいました。予想どおり、百名山の至仏山(しぶつさん)はかなりの人出でしたが、目的の笠ヶ岳に朝一番向かう人は皆無。さすがにお盆休みとあって、下山頃には貸し切りにはなりませんでしたが、それでも両手で数えて足りるほどの人にしか会いませんでした。
二十年以上前からガイドブックを読んでは行ってみたかった山。ようやく今回、登ることができました。
(写真は見上げた笠ヶ岳山頂の方)
立秋過ぎて、関東は連日猛烈な暑さとなっています。場所によっては体温より高い気温。子供の頃には考えられなかったような気温が普通となり、異常な暑さのあとのは30℃の数字が「涼しく」感じられるのですから、驚きです。
さて、そんな暑さからちょっと逃れ日光の中禅寺湖まででかけました。さすがに下界よりは涼しいですが、この日は風もかなりあったせいで湖はちょっとした波打ち際のようにさざなみ立ち、散策路の森から突然、海に飛び出したような錯覚に陥りました。
(左の奥に写っている山は男体山です。)
7月31日(日)に厚木の沓掛館山(「西山を守る会」の下界拠点)にてヒオウギのお花見会とバザーが開かれました。
当日はカンカン照りでない、程よい曇りで激しい猛暑でなく助かりました。会場の木陰ではいっそう吹く風も心地よく、昼過ぎまで降られることもなく盛況の内に終了することができました。
遠路からもいらしてくださった方もありました。
ご来場のみなさま、心より御礼申し上げます。
※なお、会場はこの週末8日まで午前中、お花見で解放されていますし、絵葉書やアクリルたわしなど「西山を守る会」グッズの販売もしています。