日々流れすぎていく様々なことの前で、ちょっと立ちどまり見つめ考えて… そんな事柄を時折、書き記していきたいと思います。

4.14 国会前一斉行動 2018.4.15

久し振りの更新です。昨年一年間は書き込むことをしなかった訳です。前回の「物理学者 池内了」にまつわる記事はそれとなくチェックしていましたが、今年度より日本学術会議の会長が、現京都大学学長の山際壽一氏になりました。内部的にはいろいろな問題があるようですが、取り敢えず多少は刷新された空気が通るのではないかと期待しています。

 

さて、昨日全国的に展開された「安倍政権打倒」の一斉行動で国会前に行ってきました。安保法制反対の時に比べ、最寄り駅の改札からもスムーズに下車でき、当初はさほどの規模ではないだろうと思って現地に到着。しかし、開催時刻の14時前から国会前の歩道には人が溢れ、当たりはすでにすごい熱気でした。私は憲政記念館側の公園内に陣取りましたが、リレー演説が始まってもどんどん人が増え続けている様子で誘導アナウンスが繰り返されていました。空には取材ヘリが一機。

リレー演説の合間にコール(シュプレヒコール)を皆が一斉に叫ぶ、誰に頼まれたわけでもない、一人一人、個人でここまでやって来て今の政権、政治に対しての怒りをぶつけずにはいられない、そんなエネルギーが周囲に溢れていました。

老若男女とはこのことで、赤ん坊連れからかなりのお年寄り(高齢者はやはり多かったですが)、車椅子の人、そして正面ステージ近くにはためいていたのは宗教関係の幟でした。同じ場所に日蓮宗、キリスト教、そして創価学会の旗もありました。若者のグループはラップでのコールに乗って踊っていました。

そして前半一部が終わろうとする午後3時過ぎ、三万を越える歩道から溢れかえるほどの人垣とパワー、そして「前へ!前へ!」のコールに合わせて人々が車道側へドーッと流れ国会前は埋め尽くされ、翌日の各紙朝刊に掲載された上空からの写真のような状態になりました。その頃にはヘリも三機が旋回、多くの人は空に向かってもそれぞれが抗議のポスターや看板を高く揚げていました。

そんな事をしても意味がない、大勢に影響などない、そういう思いの人も在るでしょうが、それとは反対に自分一人でも動こうという人々の意思の集まりが昨日の行動でした。夕方からは澤地久枝さんらが中心になっての「キャンドル・デモ」も行われました。それぞれがそれぞれのやり方で意思表示をしていくことの意味はあるはずです。

 

行動することは、諦めないという意思表示でもあります。国会中継を聞いていても、驚くほど稚拙で聞くに堪えな言い訳じみた答弁、意味のない受け答え…(キリがないのでやめますが)、それで押し切れると思っているのでしょうか? 国民を言いくるめられると思っているのでしょうか?

「NO!」この一言のために全国で何万という人が集まったのです。

<さまざまな情景をピックアップして写真にて紹介します。特に手作りの看板はコレクションになるほどユニークなものが沢山ありました。会場内には警備などとのトラブル発生に対処できるようにでしょう、多くの「弁護士」という腕章を付けた人が散見されました。その他「救護班」や「給水所」など多くのスタッフが影で支えて開催されているのが分かります。そして途中で回ってきた「カンパ」の袋には多くの人が小銭、お札を次々と入れて活動の経済的応援をしているのでした。>※写真をクリックすると大きくなってコメントが表示されます。


宇宙物理学者 池内 了 2016.12.11

12月始め、東京新聞神奈川版の下段隅の小さな小さな記事にこの講演会のことが記されていました。軍学共同の問題はこの「立ちどまる」でも取り上げ関心ある事柄だからでもありますが、何よりも目を引いたのは講演者が池内 了(さとる)であるという事でした。しかも東京ではなく地元で池内氏の話が聞ける! 

 

会場は横浜駅の県民サポートセンターの一室、池内氏の講演にしては随分小振りな設定と思いましたが、やはり広くない会場は満席でした。多くの人は会の活動として、或いは講演内容で参加していたようですが、私は講演者その人に惹かれての参加でした。

質疑応答まで含め2時間以上にわたる熱のこもる会場での充実した講演でしたが、先生自らが作成された貴重な資料(PowerPoint用)にそっての講演は、軍民両用の研究と謳い防衛省が「学」(大学や研究機関、企業)に研究費をつけ共同研究開発を促す制度の持つ怖さがよく理解できました。

  • 「デュアルユース(軍民両用)」と言いながらも、所詮は「装備開発」=武器、または武器に関わる技術のこと=にまつわる研究であり、殺戮の道具つくりへの加担であること。
  • 一端研究が始まると研究者(教授のみならず実際研究に携わる助教や学生までも)の研究内容発表は「但し…」という条項付きでほぼ不可能となる、…当然だが。
  • 研究費が現在「選択と集中」(予算をつける所を選択し、そこに集中して資金給与する)政策により、経済的に寄与するような科学(例えばIC、バイオ、ナノテク等)に配分され、広く多くの科学者が研究しづらい環境になってしまっている。(今、ノーベル賞を受けている大隅教授曰くの「基礎研究が大切」という言葉と真逆のことが行われている。)そこに付け込んだ研究者版「経済的徴兵制」となりうる。
  • 一度、軍学共同の研究開発に手をつけると、上記のようなことからも殆ど抜けられなくなる。そして科学への人々の信頼が失われる。などなど

そして池内氏は「大学からの反撃が弱い!」ー大学の執行部に対し軍学共同に参画しない規範・声明などを迫る、学内や地域で集会やシンポジウムを開催するなど活動を共にしていかねばならないーと訴えます。

 

現在、新潟大学を始め琉球大、広島大、東北大、信州大、山梨大、静岡大、電通大、国立天文大などが行動規範を決定しています。京大、早大、立命館、龍谷では従来からの規範の確認。東大は憲章を盾に表明などの動きがあるそうです。

 

残念ながら地元の横浜国大は学長始め、軍学共同も含めた政策に関して肯定的な学校だそうです。そうした大学や学術機関に対しては、たとえば学生の親からの質問・抗議(子供が通っているが研究は大丈夫なのか?とか、そういう大学には受験させないとか)や市民からの問い合わせなどが効果的と言った具体的な話もありました。

 

また署名・集会・シンポジウムの参加などその他の活動と同様ですが、大学教員・学術会議会員・国会議員への働きかけの共同行動を期待されていました。軍事研究を行う教員への非難と同時に、行わない教員への称賛を絶えず意識して接することも大切だと。具体的な事柄を示してもらい、自分にも何かできそうな気がしましたし、実践的に動き活動する科学者としての池内 了先生は著書での魅力以上の、尊敬する科学者であると感じた講演会でした。

前出の集英社新書の『物理学と神』は専門性の高い内容でありながら、私のような素人にもわかりやすい平易な文章で書かれたものです。宇宙物理という気の遠くなるような世界、その原理を神という形而上的な存在を引き合いに出して説明していく語り口は軽妙で、いつの間にか読み終えてしまった…という一冊でした。しかし、そこには明確に科学者の平和に対する責任が記されています。

 

「原子の世界が解明されるや、研究の最前線は原子核に移った。・・・そこでなされたのが強い力の利用、つまり核(あるいは原子力)エネルギーの解放である。それはまず原子爆弾となり、そして水素爆弾・原子力発電となって地球にのさばってきた。このような人間の核エネルギーの操作は、何かキナ臭い恐怖を感じさせるが、それは蛇を見たときに感じるあの先天的な恐怖心に似ていると言えるかもしれない。というのも、私たちには、星の中の核反応や星の大爆発を経て、この地球上で生を授かっているという、『星の記憶』があるからなのだ。」

 

「星の記憶」それが私たちにはあると言う、こんな宇宙物理学の本に出会えたことに幸福を感じながら読み進めますが、池内氏はまた鋭く指摘し訴えます。

「一方、核エネルギーの膨大な破壊力は、地球の論理とはなじまないことを付け加えておきたい。地球上で起こっているすべての生命現象や人間の活動は、原子の世界の出来事である。・・・そもそも、化学反応の一万倍ものエネルギーを持つ核反応は、生命活動とは本質的に矛盾するのものである。その意味で、地球における核エネルギーの利用は、悪魔の誘惑なのかもしれない。」

 

講演会終了後のちょっとした時間に図々しくもお願いしてサインをして頂きました。「いつも私はこれを書くんですよ」とおっっしゃって『知は愛』という言葉を添えてご署名くださいました。宝物の一冊となりました。


軍学共同反対広がる 2016.8.20

8月19日付け東京新聞夕刊の記事が目に留まりました。時折この欄に寄稿している池内 了の「そっぽを向かれた防衛省ー軍学共同反対拡がる」という文章です。池内了は1944年生れの物理学者ですが、専門分野を一般の読者にも興味をもって読み解けるよう、形而上的?・哲学的に導入解説する物理学入門書を著すなど、敷居の高い世界を巷の私たちに開いてくれる人間味溢れる学者と感じています。『物理学と神』(集英社新書)を以前興味深く読んだことを思い出します。

 

三ヶ月ほど前、日本学術会議会長発言に驚いたという内容を下記に記しましたが、今回は反対に、防衛省が発足させた「安全保障技術研究推進制度」に、大学・研究機関・企業が‘そっぽを向いた’話=朗報です。

 

 

2015年、軍事化路線を進めている日本の防衛省が大学などの「学」を軍事研究に誘導する「軍学共同」を急進展させ、上記の制度を発足。昨年は予算3億円で公募し、109件もの応募があり9件が採用されたとのこと。(大学等58件ー採択4件、公的研究機関22件ー採択3件、企業等29件ー採択2件) 昨今の大学・研究機関の研究者は「研究者版経済的徴兵制」と言われるほど研究費の貧困状態にあり、こうした軍事研究に手を出さなければならないくらいに追い詰められているのが実情と説明しています。

 

ところが、今年7月29日の防衛装備庁の発表によれば、本年度は6億円と予算倍増にしての募集にも拘らず、その応募は44件と昨年の半数以下に減り(大学等23件、公的研究機関11件、企業等10件)採択も10件にとどまったとのことです。予算も倍増し募集に関してさまざまな工夫をし、初年度に比べ制度の存在が浸透したにも拘らずです。

 

池内 了はこの理由について ・軍学共同の危険性が社会に広く認識されつつあるのではないか ・私たちの運動が一定の功を奏してきたこと ・安全保障関連法反対の運動が大きく拡がったこと ・本紙(東京新聞)を含むメディアが批判的な姿勢で報道を続けてくれたこと などを揚げています。昨年は応募したが今年は取りやめたという研究者もいるそうです。

 

ここで池内 了は、防衛省が狙っているのは「『防衛にも応用可能な民生技術(ディアルユース技術)の積極的な活用』なのだから、民生目的のために開発されている技術を軍事目的のために横取りしようと云うことである」と強調しています。デュアルユースという言葉に騙されてはいけない、と。

そして、この気運がもっと広がり来年には制度そのものが立ち行かなくなるくらい応募者が減ってしまうよう運動を続けると語っています。久しぶりに溜飲が下がるような思いでした。

 


日本学術会議会長の発言 2016.5.27

写真は今年のGWに近場で行われた集会とパレードに参加した時のものです。全国規模の憲法集会は5月3日憲法記念日に有明防災公園で行われましたが、私は翌日地元のパレードに参加しました。先日も山の絵がらみで知り合いになった元大学教授の方から「母校での集会に参加して声をあげています」とメールがありましたが、それぞれがそれぞれのやり方で粘り強く動き発信していく大切さを感じています。

 

そんな中、5月26日付東京新聞朝刊の記事が目に留まり、唖然としました。

日本学術会議の大西隆会長が「大学などの研究者が、自衛の目的にかなう基礎的な研究開発することは許容されるべきだ」という声明を4月総会で出していたというのです。記事によると、学術会議は1949年の発足時の決意表明で、科学者の戦争協力を反省し平和的復興への貢献を誓った、とあります。

私もかなり昔になりますが、会が公募していた講演会に出掛け、そこで豊田利幸等の話を聞きました。豊田利幸は優秀な物理学者であると同時に「科学者の社会的責任」を問い続け反核運動にも取り組んでいた学者の一人でした。本を読むだけでは分からない、生身の人間から溢れる強い反核への熱意が、専門知識の全くない聴衆の一人だった自分にもダイレクトに伝わってきたことだけは、今でも覚えています。

 また2008年ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英教授も平和運動に意欲的に取り組んでいて、時折新聞で読む発言からは繰り返し科学者としての規範を示されています。最近、大学の研究費削減から軍事関係研究への協力が取りざたされている中でも、出身の名古屋大はどんなことがあっても絶対に協力しない!と豪語しています。

 

学術の最高府とも言える日本学術会議は、平和を守ろうとする科学者集団の最後の砦かと考えていた私には、今回の大西会長声明は度肝を抜かれるおもいでした。当然、内部からも「従来の立場と異なる考えだ」との反対意見も相次ぎ、自由討議は紛糾したそうです。設立当時の理念を守りぬいてほしいです。

ここに2009年に亡くなった豊田利幸教授への追悼から一文を〜

 

 反原発の理由について、 先生は、 よく 「放射能 は生物と共存できない、 この一点でいいんだ」 と 言われていた。 放射性廃棄物を出すことが避けら れず、 また原子炉自体が巨大な廃棄物になる原発 は、 放射能を出すことだけで否定されるべき、 と いうことである。 それは同時に、 反核運動に取り 組まれる先生の原点でもあったに違いない (熊本一規明治学院大教員)


Amnesty International 2015.12.14

 

先週は人権週間でした。あまり知られていませんが、1948年の12月10日に国際連合総会にて「世界人権宣言」が採択、その後の総会でこの日を「人権デー」と定めたことに発し、毎年この週間にいろいろなイベントが開催されています(地味ですが…)。

今年、私は以前から関わっている「アムネスティ・インターナショナル」のイベント「ライティング・マラソン」に参加しました。

アムネスティの横浜グループが桜木町の横浜市市民支援センターのフリースペースにて開催したイベントです。普段個人で書いて投函している、世界の「良心の囚人」(暴力も用いていないのに、信念や信仰、人種、発言内容、あるいは性的指向を理由として囚われている人びと)の救出のための抗議ハガキをみんなで書こう!というイベントで、この日全世界各地で同時に多くの人たちが一斉に手紙書きをしたのでした。★写真はその日参加者で書いたハガキの一部を貼りだしたものです。

 

こうした手紙やハガキにそんな「効果」や「威力」があるのか?と思わるでしょうが、すぐ目に見えて激変することはありません。が、理不尽に囚われている「良心の囚人」への励ましになり、時には実際釈放され自由を手にした人たちも沢山います。私が長くこの活動も続けて来られたのも、自分ひとりでも、何処にいても、自由に「手紙を書く」というそのことで関わり続けられたからです。そんな小さなことでも世界のどこかの誰かの役に立てるのです。

少し長くなりますが、今年の国連開発サミットでアムネスティ事務総長のサリル・シェティ氏が行った基調講演をここに抜粋します。

世の政治家や国を代表する立場の人間にこうした自覚と信念があれば、地球はもっと違ったものになっていっているでしょう・・・。

  *      *      *     

 何億もの人がいまだに貧困にあえぎ、とてつもなく多くの人、とりわけ女性・少女たちは日常的に暴力を受けている。

 世界は、不平等・不正義・環境破壊・政治腐敗に毒されている。政府や大企業の信頼が揺らぐ一方で、若者たちは国を超えて抗議のために立ち上がっている。紛争により国や社会は崩壊し、第二次世界大戦後最悪の難民危機が発生している。

 開発サミットの新たな目標に懐疑的な人たちもいるだろう。無理もない。私たちの望む世界と現実は、あまりにもかけ離れている、だが、この目標は私たちの強い望みと権利を象徴するものであり、実現しなければならない。そしてそれは、可能なものだ。(中略)

 

 消費を減らさず、技術移転にも消極的では、持続可能な開発を支援していると主張はできない。国民をひそかに監視していて、人権について偉そうに語る資格はない。世界有数の武器生産国でありながら、平和を説く資格はない。企業が財務や税の抜け穴を利用するのを黙認していながら、腐敗を非難する資格はない。平和的な抗議活動や批判の声を抑えこむ一方で、「持続可能な開発目標」を定めようというのか。難民を拒み、尊厳をもって生きることを許さずにいるなら、「持続可能な開発目標」を目指すことにどんな意味があるのか。

 

 この開発目標は、きちんとした仕事・正義・人間らしさの羅針盤である。われわれ市民社会は、たとえどんな犠牲をはらってでも、貧困に苦しむ人、社会の片隅に追いやられた人の側に立つ。そして、政府に、企業に責任を持たせる。

 サミット開催前夜、より良い未来を求めて、世界中の人たちが灯りを揚げた。みな、あなた方に真のリーダーシップを求めている。あなた方はその期待に応えることができるはずだ。


国会包囲行動 2015.6.26

 昨日、安全保障関連法案を通そうというその目的の為だけの国会会期延長が決められました。

 時折ラジオで聞く国会中継では、質問者への安部首相の「答弁」が殆ど意味不明、何を言っているのか分かりません。口では国民に対して丁寧な説明をと言いながら結局は自分の言い分だけを延々と述べる一方の時間稼ぎ、そんな不誠実で相手の意見に全く耳を貸さず上から目線で何でも思い通りにしてやる・出来るんだと云った傲慢さだけが表れるやり取りに苛立ちを感じるばかりです。上からの物言い、聞く耳持たぬ的にその他の意見を排斥するやり口は菅官房長官に於いては更に徹底しているようです。

 

 さてそんな最中の一・ニ週間前、日曜と土曜に国会包囲行動へと出掛けました。6月14日には「総がかり実行委員会」主催、20日は「女性の平和」主催、それぞれ2万五千、1万五千という人が集まったそうです。実際、メインステージ?である国会正門前には近づくことすらできませんでした。

 14日には一人で出掛けましたが、男女とも私のように「とにかく行こう」という気持ちで単独で参加している人が多かったのが印象的でした。つまり、だんだんとこの政権のやっている事に黙っていられなくなって我慢がならなくなった人々が沢山出てきているということの表れです。

20日は「女性の平和」ということで女性たちが(もちろん男性の参加も歓迎)赤いものを身につけ安倍政権にレッドカードを突きつけ、熱い怒りを表す、そして皆で手をつなぎ国会を包囲するという行動でした。

各界を代表する女性たちの演説、そしてシュプレヒコールを繰り返しましたが、丁度プログラムの中頃に狙ったように拡声器の大音響を撒き散らしながら「街宣車」がやってきました。「おめ〜ら!」で始まり「バーーカッ!」で締めくくられる最低の穢れた言葉を吐く大音響でしたが、おばさん達は一斉に「帰れ!帰れ!」のカエレ・コール、そしてプログラムはそんな街宣車を全く気に留めることもなくどこ吹く風で順調に進んで行ったのはアッパレでした。そしてこの大音響登場によって女性パワーがより一層盛り上がる結果となったことは、街宣車にとっては皮肉でした。

 

 何をすればいいのか?どうすればいいのか? 難しいです。けれど、諦めずに声をあげていくことは大切だと思います。


桜・さくら 2015.3.31

三月も終わりのここ数日に横浜の桜も満開を迎えました。ちょうど関内吉田町で「二人展」開催中の為、画廊への往復に大岡川沿いの桜見物もでき、朝桜と夜桜を楽しんでいます。

しかし何故、日本人はこれほど桜に惹かれるのでしょう? 今年の春には外国人観光客にも「花見」が流行しているようで、バスツアーの会社などは嬉しい悲鳴を上げているようです。

海外の方たちの花見は、日本の風習の物珍しさからまずは来ているのかも知れませんが、このちょっとした名所での人々の盛り上がり方を見ていると、やはり日本人には何か特別の思いが「さくら」にはあると感じます。

 

しかし、私の目に留まるのは特別な事柄ではなく細やかな人々の所作です。

労働者風のおじさん連れが三人ほど、人々が行き交う歩道の一本の桜の木の元で「ここがいいかい…」という風に指さし、特別いい場所でもないのに、コンビニで求めたビールか酎ハイなどを開けて、一緒に仕入れたつまみとで小さな「宴会」をし始めている、例えばそんな光景です。

通常なら通行の邪魔だし格好のつかない歩道での‘不謹慎な’酒宴も、桜がそこに咲いていることですべてが許され、むしろ花見風情を盛り上げる演出も買っていてます。

何気ないことですが、そうした一つ一つのそれぞれの人たちの花見の所作に、私は何とも言えない細やかな「幸福」を感じます。

 

はかないからこそ美しい桜ですが、私が毎年感じるその花への思いは、庶民がその花の咲くのを待って繰り出し、そぞろ歩きや写真撮影、酒宴や逢瀬(?)と云った、ちょっとした「非日常」をつかの間愉しむ、その細やかな「営み」とも言うべき微笑ましさとそれを目にして和む気持ちです。

巷ではドンチャン騒ぎのヒンシュクものもあるでしょうが、少なくとも昭和の匂いの残るいにしえの横浜界隈では、そうした人々のつかの間の夢のひとときが、朝の時から夜遅くまで流れて行っているのだと思います。

 

一番好きなのは点々と灯火のように山肌を彩るヤマザクラですが、久しぶりに染井吉野満開の街中を歩き、平和な人波にひとときの幸福を感じました。