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鷲ヶ峰を歩く

秋めいてきたと思っていると次々とやってくる台風。その晴れ間を狙い、久しぶりに山へ向かいました。場所は信州・霧ヶ峰です。

9月に足慣らしで歩いた沼山峠〜尾瀬沼以来でしたが、軽い山歩きなら…!と八島湿原散策ではなく、鷲ヶ峰に足を向けました。登山靴足裏に感じる山道の感触も心地よく、始めの方の鉄平石のようなガラガラの石の乾いたカラン・カラカラと云う音も、歩きにくさ以上に心地よく感じるほど、久々の山の感触が喜びです。シカの侵入を防ぐための柵を通過すると目の前にこれから辿る鷲ヶ峰のゆったりとした山容が広がり、それだけで嬉しさで満たされます。

 

少し上がると、八島湿原が眼下に広がってきます。丘稜地形の「北の耳」「南の耳」(緩やかなピーク)も湿原の草紅葉色の向こうに見えます。

 

ひとり占めの静かな秋の高原です。歩くことに一生懸命にならずとも、まったく時間を気にする必要もないのんびりさが何とも贅沢です。ゆっくりとお茶を飲み、スケッチの時間も充分にとりました。

 

山頂でゆっくりしていると、一人男性が登ってきました。散歩代わりに訪ねてくる地元の人も居ます。

真夏の色とは異なる秋を感じさせる笹原が、陽の光をうけて銀色に輝いていました。風も弱く、ちょうど寒くもなく暑くもない絶妙な陽気で日差しも心地よい。最高の山日和のなか佇む山稜ですが、昔からこうした時間のなかで感じるのが、幸せな感覚と同時になにか物悲しいような思いです。不思議な感覚ですが、多分これは私だけのものというより或いは「自分もわかるなー」と思う方がきっといるはず・・・そう感じます。度々繰り返し経験するこうした「山の感覚」というものが、「山登りの楽しみ」という一括りの言葉から少々はみ出したところに存在し、実はそうした味わいのために山に向かう人も少なからず居るだろうと、私はかねがね思っているのです。

御嶽山のほうに吸い込まれるように流れる大きな大きな輝く秋の雲・・・この場所には「御嶽神社」と銘が入った一抱えくらいの石碑がありました。石碑だけ見ていると何のことかわかりませんが、目を西に転じると遠く御嶽山を見通すことができる場所、遥拝所としたのでしょう。四年前の噴火事故を思い、遠くからですが手を合わせました。