日々流れすぎていく様々なことの前で、ちょっと立ちどまり見つめ考えて… そんな事柄を時折、書き記していきたいと思います。

映画「妖怪の孫」2023.4.7

今回もまた横浜のミニシアターにて映画を観てきました。平日の昼間だし、当然若者より中高年が多いのですが、館内はかなりの人です。関心の高さが窺えます。

 

この映画は安倍氏の直截(ちょくせつ)な批判をするものではありません。いまの政治の背景がおおよそわかるようになっているので、どんな立場の人にもまずは観てほしい。本作の公開で自分や家族の身に何かが起きるかもしれないという怖さは正直あります。それでも多くの人にこの危機的な状況に気づいてもらいたいんです。」と監督の内山雄人(うちやま・たけと)氏が語っているように、あの安倍政権はなんだったのか? なぜ安倍政権は選挙につよかったのか? と言った疑問に答えていく形で作られています。

 

元官僚のインタビューでの赤裸々な、しかし心痛を伴いながらの受け答えに苦しくなったり、安倍元首相の幼少期から知り尽くしている政治ジャーナリスト・野上忠興氏の発言の数々にも「やっぱり…」と思いながらも、一国の総理が…と驚します。

 

映画が終わりエンドロールが流れるなか、館内には拍手がどこからともなく湧き上がりました。

 

公式サイトはこちらです。全国で上映中ですが、興行なので客入りが良ければ当然、上映館数も上映場所も増えるはずです。この日本が何処に向かっているのかを見極めるためにも、また国民の私たちが「今の政権」にどう“扱われて”いるのかを知るためにも、多くの人が鑑賞すればいいなぁ、という作品です。

 


映画「原発をとめた裁判長 そして原発をとめた農家たち」2022.10.23

横浜・黄金町にある「ジャック&ベティ」というミニシアターにたまに足を運びます。この変わった名前は狭いながら「ジャック」と「ベティ」の二つの上映ホールを持っていることからです。

 

先月観に行った、アフガニスタンの復興に生命を賭けた中村 哲氏のドキュメンタリー映画「荒野に希望の灯をともす」の帰りに手にしたのが、今回のこの「原発をとめた裁判長」のチラシでした。

 今週末には、監督の小原(おばら)浩靖氏が会場にみえ、上映後にご挨拶もあるとのこと。折角の機会なので、それに合わせてでかけました。

 

原発事故のもたらす被害は極めて甚大である。

 

それゆえに原発には高度の安全性が求められる。

 

地震大国日本において

原発に高度の安全性があるということは、

原発に高度の耐震性があるということにほかならない。

 

しかし、我が国の原発の耐震性は極めて低い。

 

よって、原発の運転は許されない。 

(判決文の一部)

 

 

映画は、嘗て関西電力大飯原発3・4号機の運転差止判決や、関西電力高浜原発3・4号機の再稼働差止の仮処分決定を出した樋口英明元裁判長が登場人物の一人です。

 

元々は、樋口氏が上梓した本『私が原発を止めた理由』がこの映画の出発点・お手本となっているとの事で、上映後に登場した監督の手には、付箋だらけのその本がありました。

 

この映画で一番印象的だったのは、まさに原発を止める判決理由の明快さです。

専門集団である電力会社や原発メーカーなどは、事細かに専門のデータを繰り出し、悉く「…だから大丈夫」と云う論点で訴訟を闘っていきます。

 

が、樋口氏は「樋口理論」とのちに言われるようになった単純明快な、誰にでも分かる理由で判決を導き、2017年の定年退官以降は、原発を止める為の一助として、精力的に講演活動などを全国で展開しています。

この映画もその一端であり、映像の力を借りて日本中に原発の危険性を知ってもらいたいとの思いが込められています。

 

皆さんは、耐震強度がそれなりの家屋・建物にお住まいかと思われます。が、驚いたことに、日本中の原発は私たちの住まいより耐震強度が低いのです。どこが安全なのでしょう? 嘘のようなこの事実は、想像を絶するほど空恐ろしいことです。(映画では科学的データが示されています。)

あの大事故をやらかした福島原発周辺では、今でも大きな地震が頻発しています。

 

ぜんぜん、だいじょうぶなんかじゃ

ないじゃないか!!💦

と叫びたい!


そしてもう一つ、主役でもある農家たち。

映画では単に原発が危険であるという主張だけでなく、原発がなくても暮らせる世界を提示しています。

 

剣を打ち直して鍬とし、

槍を打ち直して鎌とする

(イザヤ書2章4節)

 

福島県・二本松にて、新しく太陽光発電と農作を両立して、ソーラーシェアリングを実現していく近藤 恵氏。

 

笹屋営農型発電農場の農場長として、原発事故後に自主避難していた後、単独で地元に戻り農業を始め、今ではシャインマスカットにも挑戦している若き百姓の塚田 晴氏などなど。

小原監督が語るには、

「この映画には、エネルギー持久と

食糧持久のヒントが詰まっている」と。

 

これから、裁判も進化し、農場も進化していく。

是非、続編を創りたくなっています。

その時には、この農場の収穫の様子、

そして伊方原発差止成る! 

そんな映像が流れる場面を今から想像しています、

ともお話しされていました。

 

是非、続編を! 期待しています!


お住まいの近くでも、映画が上映されているかもしれません。

どうぞ時間を作って、見におでかけになってください。(詳細は下記をクリックして下さい。)

『原発をとめた裁判長 そして原発をとめた農家たち』

 

または、映画を見られなくてもこの本をお読みいただければ、よく分かると思います。

『私が原発を止めた理由』(樋口英明著・旬報社)Amazon


2020年は一度も「立ちどまる」を更新しませんでした。コロナ禍の一年が過ぎ2年目に入りましたが、この先どうなっていくのでしょう。不安もあるし、前向きな展望を持ちきれない日々でもありますが、ともあれ久しぶりの更新では、本の話から始めようと思います。

 

ちょうど今年の3月で、東日本大震災と福島第一原発事故から十年でした。様々な報道や特集番組が企画されていましたが、自分なりに震災や原発のことを考えてみたいと思い、気になっている本を読むことにしました。

「孤塁ー双葉郡消防士たちの3.11」を読んで 2021.4.12

この本はあの東日本大震災と福島原発事故が発生した3.11からの、双葉郡消防士たちの活動を記したルポである。

 

3.11の酷さは言うまでもなく大地震に加え津波被害の甚大さと一緒に発生した福島原発の事故で、それによって福島県双葉郡の消防士たちの活動は辛酸を極めることになり、加え完全な孤立となった。

 地震発生以降、絶え間ない救急・救助活動をし続けていた「消防隊員が何より待ち望んでいたのは、『緊援隊』(緊急消防援助隊)で」あったが、それも原発事故によって「第一原発から半径10キロ圏内に屋内退避指示」が出ていた為に来なくなった、いや、来られなくなった。完全な孤立無援状態。

 

それまでも極限状態での救助・救援活動だったが、以降の消防隊員たちの活動は壮絶を極める。本来の任務とは異なる、原発の冷却水用の水槽搬送も初期段階では要請されたり、同時に原発施設内での救助者の搬送のため繰り返し出動している。が、情報が極端に少ないなか「空振り」も多く、「ベント」や原発の危機的状況も知らされずに、被爆の危険にさらされながらの活動。原発至近に居て、「バン!」という爆発音や「きのこ雲」を見て「退避」した隊員など、信じがたい事実が各隊員の証言によって明らかになる。

 

「この状態で我々が葛藤していることを、国は知っているのだろうか……」

 

「人のいなくなった町で、今なお活動を続け、さらに原発の冷却要請に葛藤している我々の存在を、誰が知っているのか。多くの職員が泣いていた。」

 

 この本に記された隊員たちの事は原発事故という特殊な事情も絡み、どのマスコミにも伝わらず、誰にも知られずに=なかったことと同じに=なっていたかもしれない。著者の吉田千亜氏がルポし、丹念な聞き取り・取材の上にこうした形で著してくれたおかげで初めて公に明かされる事実ばかりなのである。

 

私たちは当時、テレビの画面を見て、自衛隊やハイパーレスキューの隊員たちが懸命に事故を起こした原発を冷却すべく、ヘリで水を撒いたり巨大なホースで放水するのを、何とか収まってくれと祈るような気持ちで見つめていた。また最後まで原発内に留まった作業員たちは個人名は上げられずとも「フクシマ50」と英雄的に報道されもした。が、こうした報道に載ることもなく、それ以前より誰にも認められることもなく決死の思いで不眠不休の過酷な活動を担っていた現地・双葉郡の消防士たちが居たことを、私たちは記憶にとどめておかなくてはならないと、読み終えて再度思い直した。

 

<この本の出版元HPはこちら 〜著者からのメッセージ・担当編集者より、が載っています〜>

 


アムネスティ・インターナショナルの講演会 2019.6.13

先週末、横浜市民活動支援センターにてアムネスティ・インターナショナル日本・神奈川支部主催で「福島原発被災者の人権を求めて」という講演がありました。

予定が詰まった週末でしたが、横浜で原発被災者の生の声を直接聞ける機会というのはそう多くありません。なんとか調整し、午後の2〜4時半参加することができました。

 

当日は東日本大震災被災者の会「Thanks&Dream(サンドリ)」代表、原発賠償関西訴訟原告団代表、原発被害者訴訟原告団全国連絡会共同代表の森松明希子さんのお話を伺いました。森松さんは2018年3月19日、スイス・ジュネーブの国連人権理事会本会議にてスピーチもされました。

 

この日は国際人権団体アムネスティの講演会ということで、特に子どもの人権に焦点を当ててのお話でしたが、私にとって印象的だったのは「隣家が火事になったら逃げますよね? それならどうして原発が爆発して逃げたらいけないんですか?」と言う本当に素朴な問いかけでした。

 

国策として推進され安全とクリーンをうたった原発。それが全くの嘘偽りで、あの2011年の大事故、大爆発です。国際的には事故ではなく惨事であると森松さんはおっしゃってました。それほどの大惨事を起こしながら、正確な情報も開示されず福島の人たちの避難は大変な困難を伴い、転々と避難したあとは誹謗中傷やイジメ。8年たった今では放射線量の年間被爆上限を1ミリシーベルトから20に!引き上げ、今度は帰還せよと避難者支援を打ち切っています。

 

この原発被災者の“国内避難民”に対しての理不尽な国や東電の対応には心底憤りがわきますが、森松さんの「原発爆発で避難するのは当たり前のことでは? それをどうして本当のことを言えず、なぜ隠れて避難しなくてはならないのか?」という訴えに、同じくやるせない憤りがわくのでした。

一時間少しの講演の後は「質疑応答」の時間でしたが、会場からは活発な意見や質問が次々出て、森松さんとの熱心なやり取りが時間いっぱいまで続きました。

 

そして最後にアムネスティの活動らしく「手紙を書く」と言うことで、安倍総理宛の要請はがきに各参加者が署名して送付するかたちで会が終了しました。

 

アムネスティ・インターナショナルは「つれづれ」も含め何度か登場していますが、とても地味めな?人権団体(公益社団法人)です。世界各地で調査されている非人道的な行いに対して声を上げ、その国の政権や権力者に対して人権侵害をやめ「良心の囚人」を解放し、適正な裁判や調査を行うよう手紙を書いて要請していきます。自分の書く手紙(はがき)がたった1通でも、世界中から声が届けば何万、何百万となり確実に相手への圧力になります。実際、それで解放されたり助かった人たちが大勢います。

 

政治的な中立を保ちながらの抗議活動ですが、今回のような国内の避難民に対しての行動ももちろん大切と思います。


久しぶりの映画 2019.5.6

 

今回の十連休という一部の国民のみが享受する長〜い休みも、上からお仕着せでなく自由に自分の都合で取れる休日のほうがどれほどいいか…と思った。かなり多くの人たちが、いつもと同じように(いや、それ以上に)忙しく働いていたはずだし、人が押し寄せる観光地の「売上」はともかく「働き方」や「サービス」はいったいどういう状況だったのだろう。休日に関係ない生活をしている立場の者としては、心からそうした働く現場の方々には「お疲れ様でした」と思う。それにしても連日の交通渋滞はひどいものだった・・・。それだけでも、こんな連休は異常と感じるのだが?

 

さて、映画館に行って映画を見たいとよく思っているのに、なかなか行けていなかった。世間、混み合う所はかなり集中している様子だし、穴場狙いの映画館を見つけて見たかった一作を訪ねた。

 「マイ・ブックショップ」

監督のイゼベル・コイシェが原作のベネロビ・フィッツジェラルド著「ブックショップ」という実話との出会いで作られた映画。舞台は1959年のイギリス、海辺の小さな町。

一軒も書店のない保守的な田舎町に、亡き夫との夢だった書店をフローレンス・グリーンという一人の女性が開こうとする話。保守的ゆえにさまざまな抵抗や嫌がらせに会いながらも、変わり者の老紳士で心強い協力者や、愛想はないけれどしっかりした利発な少女の手助けを得ながら夢を実現させていく。…エンディングは必ずしもハッピーエンドではないけれど、しかし次の世代につながる希望に主人公のフローレンスの勇気が結晶している。

 

と、おおよそそんな映画なのだが、全体の映像の美しさがひときわ心惹かれる。天候の変わりやすい、基本陰鬱なイギリスの海辺の景観や古めかしい重厚な屋敷や「オールドハウス」と呼ばれる本屋となる建物、またその室内が薄汚れたものから書店らしく棚が設え次第に本が揃い、最後には美しい背表紙の本たちに埋められ、木製の仕事机に数々の紙製の事務用品やインク壺などが並ぶ様子は殊の外美しい。

 

そこに風の吹くモノトーンの海辺と褐色の草原が登場人物の心情を映すように度々と現れる。フローレンスは本をたずさえその海辺を散策するのが唯一の愉しみだった。

 

本好きにはそうした映像を見ているだけでうっとりとしてしまうが、柔らかな感性のなかにまっすぐに前を向き自分の夢を具現化させていくフローレンスの自立した生き方こそが、この映画の軸になっている。

 

ところで最近ふと感じるのだが、電車に乗っている時に目にする「座席7人中7人がスマホ」という光景が少し変わってきているのではないだろうか? つまりその中の一人二人が本を開いている。年代などは様々。若い人も中高年も、サラリーマンも学生も主婦らしい人も関係なくバラバラであるが、たしかに本(どんな本かも当然さまざまだが)を読んでいるのがけっこう目につくようになった、と感じているのは私だけだろうか? 

そして願わくは、都会(至便な場所)に住んでいる人は通販で本を買うのではなく書店に足を運び、店内をうろつき本を探す愉しみを味わいながら本を買ってほしいと思う。フローレンスがつくろうとした、便利の一言とはまったく違う世界がそこには在るのだから。


宇宙物理学者 池内 了 2016.12.11

12月始め、東京新聞神奈川版の下段隅の小さな小さな記事にこの講演会のことが記されていました。軍学共同の問題はこの「立ちどまる」でも取り上げ関心ある事柄だからでもありますが、何よりも目を引いたのは講演者が池内 了(さとる)であるという事でした。しかも東京ではなく地元で池内氏の話が聞ける! 

 

会場は横浜駅の県民サポートセンターの一室、池内氏の講演にしては随分小振りな設定と思いましたが、やはり広くない会場は満席でした。多くの人は会の活動として、或いは講演内容で参加していたようですが、私は講演者その人に惹かれての参加でした。

質疑応答まで含め2時間以上にわたる熱のこもる会場での充実した講演でしたが、先生自らが作成された貴重な資料(PowerPoint用)にそっての講演は、軍民両用の研究と謳い防衛省が「学」(大学や研究機関、企業)に研究費をつけ共同研究開発を促す制度の持つ怖さがよく理解できました。

  • 「デュアルユース(軍民両用)」と言いながらも、所詮は「装備開発」=武器、または武器に関わる技術のこと=にまつわる研究であり、殺戮の道具つくりへの加担であること。
  • 一端研究が始まると研究者(教授のみならず実際研究に携わる助教や学生までも)の研究内容発表は「但し…」という条項付きでほぼ不可能となる、…当然だが。
  • 研究費が現在「選択と集中」(予算をつける所を選択し、そこに集中して資金給与する)政策により、経済的に寄与するような科学(例えばIC、バイオ、ナノテク等)に配分され、広く多くの科学者が研究しづらい環境になってしまっている。(今、ノーベル賞を受けている大隅教授曰くの「基礎研究が大切」という言葉と真逆のことが行われている。)そこに付け込んだ研究者版「経済的徴兵制」となりうる。
  • 一度、軍学共同の研究開発に手をつけると、上記のようなことからも殆ど抜けられなくなる。そして科学への人々の信頼が失われる。などなど

そして池内氏は「大学からの反撃が弱い!」ー大学の執行部に対し軍学共同に参画しない規範・声明などを迫る、学内や地域で集会やシンポジウムを開催するなど活動を共にしていかねばならないーと訴えます。

 

現在、新潟大学を始め琉球大、広島大、東北大、信州大、山梨大、静岡大、電通大、国立天文大などが行動規範を決定しています。京大、早大、立命館、龍谷では従来からの規範の確認。東大は憲章を盾に表明などの動きがあるそうです。

 

残念ながら地元の横浜国大は学長始め、軍学共同も含めた政策に関して肯定的な学校だそうです。そうした大学や学術機関に対しては、たとえば学生の親からの質問・抗議(子供が通っているが研究は大丈夫なのか?とか、そういう大学には受験させないとか)や市民からの問い合わせなどが効果的と言った具体的な話もありました。

 

また署名・集会・シンポジウムの参加などその他の活動と同様ですが、大学教員・学術会議会員・国会議員への働きかけの共同行動を期待されていました。軍事研究を行う教員への非難と同時に、行わない教員への称賛を絶えず意識して接することも大切だと。具体的な事柄を示してもらい、自分にも何かできそうな気がしましたし、実践的に動き活動する科学者としての池内 了先生は著書での魅力以上の、尊敬する科学者であると感じた講演会でした。

前出の集英社新書の『物理学と神』は専門性の高い内容でありながら、私のような素人にもわかりやすい平易な文章で書かれたものです。宇宙物理という気の遠くなるような世界、その原理を神という形而上的な存在を引き合いに出して説明していく語り口は軽妙で、いつの間にか読み終えてしまった…という一冊でした。しかし、そこには明確に科学者の平和に対する責任が記されています。

 

「原子の世界が解明されるや、研究の最前線は原子核に移った。・・・そこでなされたのが強い力の利用、つまり核(あるいは原子力)エネルギーの解放である。それはまず原子爆弾となり、そして水素爆弾・原子力発電となって地球にのさばってきた。このような人間の核エネルギーの操作は、何かキナ臭い恐怖を感じさせるが、それは蛇を見たときに感じるあの先天的な恐怖心に似ていると言えるかもしれない。というのも、私たちには、星の中の核反応や星の大爆発を経て、この地球上で生を授かっているという、『星の記憶』があるからなのだ。」

 

「星の記憶」それが私たちにはあると言う、こんな宇宙物理学の本に出会えたことに幸福を感じながら読み進めますが、池内氏はまた鋭く指摘し訴えます。

「一方、核エネルギーの膨大な破壊力は、地球の論理とはなじまないことを付け加えておきたい。地球上で起こっているすべての生命現象や人間の活動は、原子の世界の出来事である。・・・そもそも、化学反応の一万倍ものエネルギーを持つ核反応は、生命活動とは本質的に矛盾するのものである。その意味で、地球における核エネルギーの利用は、悪魔の誘惑なのかもしれない。」

 

講演会終了後のちょっとした時間に図々しくもお願いしてサインをして頂きました。「いつも私はこれを書くんですよ」とおっっしゃって『知は愛』という言葉を添えてご署名くださいました。宝物の一冊となりました。


軍学共同反対広がる 2016.8.20

8月19日付け東京新聞夕刊の記事が目に留まりました。時折この欄に寄稿している池内 了の「そっぽを向かれた防衛省ー軍学共同反対拡がる」という文章です。池内了は1944年生れの物理学者ですが、専門分野を一般の読者にも興味をもって読み解けるよう、形而上的?・哲学的に導入解説する物理学入門書を著すなど、敷居の高い世界を巷の私たちに開いてくれる人間味溢れる学者と感じています。『物理学と神』(集英社新書)を以前興味深く読んだことを思い出します。

 

三ヶ月ほど前、日本学術会議会長発言に驚いたという内容を下記に記しましたが、今回は反対に、防衛省が発足させた「安全保障技術研究推進制度」に、大学・研究機関・企業が‘そっぽを向いた’話=朗報です。

 

 

2015年、軍事化路線を進めている日本の防衛省が大学などの「学」を軍事研究に誘導する「軍学共同」を急進展させ、上記の制度を発足。昨年は予算3億円で公募し、109件もの応募があり9件が採用されたとのこと。(大学等58件ー採択4件、公的研究機関22件ー採択3件、企業等29件ー採択2件) 昨今の大学・研究機関の研究者は「研究者版経済的徴兵制」と言われるほど研究費の貧困状態にあり、こうした軍事研究に手を出さなければならないくらいに追い詰められているのが実情と説明しています。

 

ところが、今年7月29日の防衛装備庁の発表によれば、本年度は6億円と予算倍増にしての募集にも拘らず、その応募は44件と昨年の半数以下に減り(大学等23件、公的研究機関11件、企業等10件)採択も10件にとどまったとのことです。予算も倍増し募集に関してさまざまな工夫をし、初年度に比べ制度の存在が浸透したにも拘らずです。

 

池内 了はこの理由について ・軍学共同の危険性が社会に広く認識されつつあるのではないか ・私たちの運動が一定の功を奏してきたこと ・安全保障関連法反対の運動が大きく拡がったこと ・本紙(東京新聞)を含むメディアが批判的な姿勢で報道を続けてくれたこと などを揚げています。昨年は応募したが今年は取りやめたという研究者もいるそうです。

 

ここで池内 了は、防衛省が狙っているのは「『防衛にも応用可能な民生技術(ディアルユース技術)の積極的な活用』なのだから、民生目的のために開発されている技術を軍事目的のために横取りしようと云うことである」と強調しています。デュアルユースという言葉に騙されてはいけない、と。

そして、この気運がもっと広がり来年には制度そのものが立ち行かなくなるくらい応募者が減ってしまうよう運動を続けると語っています。久しぶりに溜飲が下がるような思いでした。

 


日本学術会議会長の発言 2016.5.27

写真は今年のGWに近場で行われた集会とパレードに参加した時のものです。全国規模の憲法集会は5月3日憲法記念日に有明防災公園で行われましたが、私は翌日地元のパレードに参加しました。先日も山の絵がらみで知り合いになった元大学教授の方から「母校での集会に参加して声をあげています」とメールがありましたが、それぞれがそれぞれのやり方で粘り強く動き発信していく大切さを感じています。

 

そんな中、5月26日付東京新聞朝刊の記事が目に留まり、唖然としました。

日本学術会議の大西隆会長が「大学などの研究者が、自衛の目的にかなう基礎的な研究開発することは許容されるべきだ」という声明を4月総会で出していたというのです。記事によると、学術会議は1949年の発足時の決意表明で、科学者の戦争協力を反省し平和的復興への貢献を誓った、とあります。

私もかなり昔になりますが、会が公募していた講演会に出掛け、そこで豊田利幸等の話を聞きました。豊田利幸は優秀な物理学者であると同時に「科学者の社会的責任」を問い続け反核運動にも取り組んでいた学者の一人でした。本を読むだけでは分からない、生身の人間から溢れる強い反核への熱意が、専門知識の全くない聴衆の一人だった自分にもダイレクトに伝わってきたことだけは、今でも覚えています。

 また2008年ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英教授も平和運動に意欲的に取り組んでいて、時折新聞で読む発言からは繰り返し科学者としての規範を示されています。最近、大学の研究費削減から軍事関係研究への協力が取りざたされている中でも、出身の名古屋大はどんなことがあっても絶対に協力しない!と豪語しています。

 

学術の最高府とも言える日本学術会議は、平和を守ろうとする科学者集団の最後の砦かと考えていた私には、今回の大西会長声明は度肝を抜かれるおもいでした。当然、内部からも「従来の立場と異なる考えだ」との反対意見も相次ぎ、自由討議は紛糾したそうです。設立当時の理念を守りぬいてほしいです。

ここに2009年に亡くなった豊田利幸教授への追悼から一文を〜

 

 反原発の理由について、 先生は、 よく 「放射能 は生物と共存できない、 この一点でいいんだ」 と 言われていた。 放射性廃棄物を出すことが避けら れず、 また原子炉自体が巨大な廃棄物になる原発 は、 放射能を出すことだけで否定されるべき、 と いうことである。 それは同時に、 反核運動に取り 組まれる先生の原点でもあったに違いない (熊本一規明治学院大教員)


Amnesty International 2015.12.14

 

先週は人権週間でした。あまり知られていませんが、1948年の12月10日に国際連合総会にて「世界人権宣言」が採択、その後の総会でこの日を「人権デー」と定めたことに発し、毎年この週間にいろいろなイベントが開催されています(地味ですが…)。

今年、私は以前から関わっている「アムネスティ・インターナショナル」のイベント「ライティング・マラソン」に参加しました。

アムネスティの横浜グループが桜木町の横浜市市民支援センターのフリースペースにて開催したイベントです。普段個人で書いて投函している、世界の「良心の囚人」(暴力も用いていないのに、信念や信仰、人種、発言内容、あるいは性的指向を理由として囚われている人びと)の救出のための抗議ハガキをみんなで書こう!というイベントで、この日全世界各地で同時に多くの人たちが一斉に手紙書きをしたのでした。★写真はその日参加者で書いたハガキの一部を貼りだしたものです。

 

こうした手紙やハガキにそんな「効果」や「威力」があるのか?と思わるでしょうが、すぐ目に見えて激変することはありません。が、理不尽に囚われている「良心の囚人」への励ましになり、時には実際釈放され自由を手にした人たちも沢山います。私が長くこの活動も続けて来られたのも、自分ひとりでも、何処にいても、自由に「手紙を書く」というそのことで関わり続けられたからです。そんな小さなことでも世界のどこかの誰かの役に立てるのです。

少し長くなりますが、今年の国連開発サミットでアムネスティ事務総長のサリル・シェティ氏が行った基調講演をここに抜粋します。

世の政治家や国を代表する立場の人間にこうした自覚と信念があれば、地球はもっと違ったものになっていっているでしょう・・・。

  *      *      *     

 何億もの人がいまだに貧困にあえぎ、とてつもなく多くの人、とりわけ女性・少女たちは日常的に暴力を受けている。

 世界は、不平等・不正義・環境破壊・政治腐敗に毒されている。政府や大企業の信頼が揺らぐ一方で、若者たちは国を超えて抗議のために立ち上がっている。紛争により国や社会は崩壊し、第二次世界大戦後最悪の難民危機が発生している。

 開発サミットの新たな目標に懐疑的な人たちもいるだろう。無理もない。私たちの望む世界と現実は、あまりにもかけ離れている、だが、この目標は私たちの強い望みと権利を象徴するものであり、実現しなければならない。そしてそれは、可能なものだ。(中略)

 

 消費を減らさず、技術移転にも消極的では、持続可能な開発を支援していると主張はできない。国民をひそかに監視していて、人権について偉そうに語る資格はない。世界有数の武器生産国でありながら、平和を説く資格はない。企業が財務や税の抜け穴を利用するのを黙認していながら、腐敗を非難する資格はない。平和的な抗議活動や批判の声を抑えこむ一方で、「持続可能な開発目標」を定めようというのか。難民を拒み、尊厳をもって生きることを許さずにいるなら、「持続可能な開発目標」を目指すことにどんな意味があるのか。

 

 この開発目標は、きちんとした仕事・正義・人間らしさの羅針盤である。われわれ市民社会は、たとえどんな犠牲をはらってでも、貧困に苦しむ人、社会の片隅に追いやられた人の側に立つ。そして、政府に、企業に責任を持たせる。

 サミット開催前夜、より良い未来を求めて、世界中の人たちが灯りを揚げた。みな、あなた方に真のリーダーシップを求めている。あなた方はその期待に応えることができるはずだ。


桜・さくら 2015.3.31

三月も終わりのここ数日に横浜の桜も満開を迎えました。ちょうど関内吉田町で「二人展」開催中の為、画廊への往復に大岡川沿いの桜見物もでき、朝桜と夜桜を楽しんでいます。

しかし何故、日本人はこれほど桜に惹かれるのでしょう? 今年の春には外国人観光客にも「花見」が流行しているようで、バスツアーの会社などは嬉しい悲鳴を上げているようです。

海外の方たちの花見は、日本の風習の物珍しさからまずは来ているのかも知れませんが、このちょっとした名所での人々の盛り上がり方を見ていると、やはり日本人には何か特別の思いが「さくら」にはあると感じます。

 

しかし、私の目に留まるのは特別な事柄ではなく細やかな人々の所作です。

労働者風のおじさん連れが三人ほど、人々が行き交う歩道の一本の桜の木の元で「ここがいいかい…」という風に指さし、特別いい場所でもないのに、コンビニで求めたビールか酎ハイなどを開けて、一緒に仕入れたつまみとで小さな「宴会」をし始めている、例えばそんな光景です。

通常なら通行の邪魔だし格好のつかない歩道での‘不謹慎な’酒宴も、桜がそこに咲いていることですべてが許され、むしろ花見風情を盛り上げる演出も買っていてます。

何気ないことですが、そうした一つ一つのそれぞれの人たちの花見の所作に、私は何とも言えない細やかな「幸福」を感じます。

 

はかないからこそ美しい桜ですが、私が毎年感じるその花への思いは、庶民がその花の咲くのを待って繰り出し、そぞろ歩きや写真撮影、酒宴や逢瀬(?)と云った、ちょっとした「非日常」をつかの間愉しむ、その細やかな「営み」とも言うべき微笑ましさとそれを目にして和む気持ちです。

巷ではドンチャン騒ぎのヒンシュクものもあるでしょうが、少なくとも昭和の匂いの残るいにしえの横浜界隈では、そうした人々のつかの間の夢のひとときが、朝の時から夜遅くまで流れて行っているのだと思います。

 

一番好きなのは点々と灯火のように山肌を彩るヤマザクラですが、久しぶりに染井吉野満開の街中を歩き、平和な人波にひとときの幸福を感じました。